最古の兵法書を読んでわかった、日本が中国・韓国と相容れない理由

 

敵を欺く「孫子」の兵法は日本人のスタイルではない

「闘戦経」の著者の大江匡房(まさふさ)は、朝廷で「六韜」「三略」「孫子」などの中国の兵書の管理をしている兵法の大家の35代目であった。斎藤孝氏は冒頭で、「闘戦経」と「孫子」の関係について、こう述べている。

その当時は特に「孫子」が広く世に知れていましたが、大江匡房は「孫子」の説く「兵は詭道なり」つまり「戦いの基本は敵を欺くことにある」という兵法はどうしても日本人のスタイルではない、と考えたのです。

 

「戦いというのはただ勝てばいいのではない、ズルをして勝つのではなく、正々堂々と戦うべきである」と、中国ではなく日本の戦うスタイルを宣言しました、それが「闘戦経」なのです。

 

そうした思いを匡房は「闘戦経」を入れた函に金文字で書いています。

 

「『闘戦経』は『孫子』と表裏す。『孫子』は詭道を説くも、『闘戦経』は真鋭を説く、これ日本の国風なり」
p1

「武」が秩序を生み出す力であるとしたら、単に戦闘に勝てば良いというものではない。敵を欺いて勝ったとしても、その敵は恨みを抱き、いつか復讐してやろうと思うだろう。それでは真の平和にはつながらない。まさに中国大陸のように戦乱の世が続く。

「孫子」は戦闘に勝つ方法を教えた。「闘戦経は世を治める道を教えている。そこに次元の違いがある。

「日本では真実をよしとする」

それでは「闘戦経」では、どのような闘い方を理想とするのか。匡房はこう説く。

中国の古い文献では相手を騙すことも1つの作戦としていいことだと言う。しかし日本では真実をよしとする。偽(いつわり)は所詮(しょせん)偽りにすぎない。鋭く真実であれば、やがてそれははっきりとした結果を生む。

 

漢の文は詭譎(きけつ)有り、倭(わ)の教は真鋭を説く。詭ならんか詭や。鋭なるかな鋭や。
p35

この一節を斎藤孝氏はこう解説する。

「闘戦経」では日本人の価値観を的確に捉えていて「どんな手を使っても勝つことをよしとするのではなく、正々堂々と戦うことがまず大切だ。何か汚い手を使って勝つよりも、負ける方がまだいい」といった潔(いさぎよ)さを求めるのです。千年近くも前に書かれた本に、現代にまで続く日本人の価値観が記されていることに驚きます。

 

例えばサッカーの国際試合などでは審判の見ていないところでズルをする外国の選手をよく見ます。わざと倒れて相手に反則の判定をとらせるなどということもよくあります。日本はそうしたずる賢さがないから勝てないんだと言われたこともありました。しかし、日本人にはそうしたことができないのです。

 

そして今は、日本チームはそれでいい、フェアプレーを貫いて正々堂々と闘おうではないかという、それが日本のスタイルになっています。高校野球もまさに正々堂々、そこに日本的教育があります。
p37

日韓サッカーワールドカップでの戦い方の違い

この一文から思い出されるのは、平成14(2002)年の日韓サッカーワールドカップである。日本チームは決勝進出したが1回戦で敗退したのに対し、韓国チームはイタリア、スペインと強豪を連破し、準決勝にまで進出して4位を得た。しかし、この両試合で、世界10大誤審に4つもランクインする韓国有利の誤審が出て、審判買収まで噂された

やぶれたイタリア、スペインのみならず、第3国のマスコミまで以下のような報道をした。

・イギリス デイリーテレグラフ紙:茶番判定で汚れた韓国の奇跡
・アルゼンチン ラ・ナシオン紙:W杯を中止に
・オーストリア クリア紙:W杯に正義はなくなった

スポーツは正々堂々と戦ってこそ、勝っても負けても敵味方を超えた友情が花開く。韓国と日本のサッカーの違いは、まさに「相手を騙すことも1つの作戦」と考えるか、あくまでも「真実をよしとする」か、という闘い方の違いであった。

黒田博樹投手の志

武を秩序を生み出す力と捉えると、どういう秩序を目指すのか、という志が問われる。この点について「闘戦経」はこう説く。

人の道を説く儒教は戦いには弱く、戦いの場では死ぬしかない。謀略ばかり練っている人は人から信用されず、いざという時は逃げるしかない。…策略ばかりで生きてきた人が名を残したりすることはない。

 

儒術(じゅじゅつ)は死し、謀略は逃る。…未だ謀士の骨を残すを見ず。
p70

「大事なことは志を持って一途に生きること志士の魂を持つことです」と斎藤孝氏は解説する。その例として、黒田博樹投手がメジャーリーグで79勝もあげて、さらに年間20億円以上のオファーを受けながら、それを蹴って古巣の広島カープに戻ってきた逸話を挙げる。

その理由が、広島という町に自分を待ってくれている人たちがいる、その人たちのためにカープを優勝させたい、まだ第一線で活躍できるうちに日本に帰ってきて、自分が培ってきたものを若い選手に伝えたい。日本に帰るならカープしかない、というものでした。

 

広島ファンだけでなく、多くの人に「黒田は男だったなあ」と長く語り継がれることでしょう。まさに、黒田選手は目先の損得よりも自らの志を貫き、「骨を残した」のです。
p70

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