実は農民も江戸時代から「苗字」を持っていたというこれだけの証拠

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「江戸時代には武士階級以外は苗字を持っていなかった。」という話はしばしば聞きますが、無料メルマガ『自分のルーツ(祖先)を1000年たどる技術』の著者・丸山学さん曰く、これは「誤解」なのだそうです。丸山さんが山陰地方で行った調査で、江戸時代の農民も自分たちの苗字を持っていたという驚きの証拠を発見したようです。これを読めば、あなたもきっとご自身の苗字のルーツが気になると思いますよ。

江戸時代、庶民も名字を持っていた証拠を調査の中で見つけました

山陰地方の400年コースの調査が終了したのですが、名字について面白い発見がありました。

江戸時代は武士だけが名字を持っていて、それ以外の庶民(農民など)は名字を持っていなかった。庶民は明治期になって戸籍を作成する際に適当に名字を届け出たのでその名字はルーツを表すものとは言えない~というように誤解をされているケースが結構あります。

しかし、現代では江戸時代中の農民が名字を記載している文書も多数発見されており、庶民は名字を持っていなかった訳ではなく公の場面で名乗ることが出来なかったというに過ぎません。

ですので、農民は検地帳のような公文書には名字は記載されませんでした。
しかし、寺社の供養記録など私文書では農民が名字を記載している物が多数発見されています。

そして、今回の調査の中でもそれを裏付けるような出来事がありました。

調査を進めていくと、ご依頼人の家は江戸時代前期にある村(現在のご依頼人の本籍地から少し離れた場所。仮にA村と呼びます)のある家から分家して出来た家である事が分かりました。
この時点では、その本家に当たるA村の家の名字というのは分かりませんでした。

ある文書中にご依頼人家の始祖について「A村○兵衛の弟 分家してB町に居住」程度の事が書かれていました。

これにより、ご依頼人家の本家はA村にあり当主は「○兵衛」という名であると判明はしました。
しかし、そのA地区についてはご依頼人家は全く交流がなく、まして本家に当たる家の事などご存知ありませんでした。

そこで私の方でA地区に調査に入り、現地の方々に協力をいただいて、その本家について調べました。
結論を申し上げれば、その本家にあたる「○兵衛」の家は昭和30年頃に最後の当主が亡くなり、家を継ぐ子もおらず絶えてしまっていました(娘さんはいましたが、嫁いで他所へ行ってしまったそうです)。
A地区は農村地帯であり、江戸期は全戸が農民でした。

とにもかくにも、江戸時代前期というはるか昔に分かれたご依頼人家の本家は見つかった訳です。居住していた土地(現在は畑になっていました)も分かり、私もそこに行ってきました。

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