台湾の「日本好き」が過去最高に。なぜここまで相思相愛なのか?

 

とはいえ、韓国で日本人客が激減している一方で、台湾への観光客が急増しているのには、やはり日台の長年にわたる深い絆が関係しているのでしょう。韓国は「冬ソナブーム」の際には多数の日本人観光客が訪れたものの、あまりに反日活動がひどいため、日本人離れを招いてしまいました。

韓国で中国人客増加も日本人客激減 高級ホテルに深刻打撃

1895(明治28)年、日清戦争の結果、下関条約によって台湾は清朝から日本に割譲されました。その後、第2次世界大戦で日本がポツダム宣言を受諾して台湾から去ったことで、中華民国によって占領され、現在に至っています。

しかし、日本による統治時代に近代化、文明化を果たした台湾人にとって、中国人の無知蒙昧ぶりは信じられないものがありました。たとえば、台湾は日本時代に上下水道が完備されましたが、大陸から渡ってきた中国人たちは、蛇口をひねれば水が出るのを見て、こぞって蛇口を買い壁に取り付けました。そうすれば水が出ると本気で思っていたのです。

こうした本省人(元からいた台湾人)と外省人(大陸からやってきた中国人)の文化摩擦によって起きたのが、1947年2月28日の「228事件」です。発端は中国人の役人がタバコ売りの女性に暴行を加えたことにより、無知な中国人に支配されることに耐えられなくなった台湾人の怒りが爆発、各地で抗議デモが発生しました。国民党政府はこれを武力で鎮圧し、約3万人もの台湾人が殺害処刑されたのです。

その時に発せられた戒厳令は1987年まで数え39年も継続され、知識人らに対する弾圧と恐怖政治が続きました。この恐怖政治は「白色テロ」と呼ばれ、1988年に李登輝総統が誕生して1990年代に民主化が実現されるまで、2・28事件については語ることすらタブーとされていました。

日本時代と中華民国時代の違いは、為政者の姿勢にも現れています。たとえば蒋介石の死後、台北の中心地の総統府前には、蒋介石を祀る巨大な中正廟が建立されましたが、棺は将来中国大陸へ帰葬するため、絶対に異域である台湾の土にはならぬという意味で地面から三寸離して安置してあります。

それに対して、7代目の台湾総督であった明石元二郎は「余の死体はこのまま台湾に埋葬せよ。いまだ実行の方針を確立せずして、中途に斃れるは千載の恨事なり。余は死して護国の鬼となり、台民の鎮護たらざるべからず」という遺言を残し、その言葉通りに台北に埋葬されました。

ところが戦後、国共内戦の再燃で、中共軍に追われた200万人の中国難民が台湾に流れ込み、一部が台北三板橋の日本人墓地を占領して、明石神社や明石総督の墓石の上にまでバラック小屋をつくり、そこで半世紀近くも住みつきました。

陳水扁台北市長の時代になって、難民が強制占拠した違法建築がやっと排除され、公園につくり替えられ、明石総督の墓は、彼を敬慕する台湾人の募金によって、台北県三芝郷の山上に新しくつくられたのです。

台湾の土になろうとした日本人総督と、あくまで大陸反攻を夢見て、台湾の土になりたくないと考えた中国人総統とでは、台湾に対する覚悟が違います

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