なぜ日本人選手は銀メダルで謝罪するのか? 悪しき習慣を上杉隆氏が斬る

 

実際に、今回のリオ五輪で、海外の選手ら(英語圏)が敗北した際のインタビューを、片っ端からYouTube動画などで探した。私が観た限りでは、試合直後に謝っている選手は皆無だった(日本人選手を除く)。それら大半は、対戦相手に祝辞を贈り、自らの敗因について分析しているものばかりだ。

かつて、競泳の千葉すず選手がアトランタ五輪で期待した成果をあげられず、出場した個人2種目でメダルを逃したことがあった。団体のメドレーリレーも4位だった。競技後、インタビューに答えた千葉選手はこう語った。

「オリンピックは楽しむつもりで出た」
「そんなにメダルメダルというのならば、ご自分で出ればいいじゃないですか」
「日本の人はメダル狂いですね」

言いたいことを言ってのける、若いアスリートらしい、気持ちのよい発言ではないか。むしろ清々しい。敗れてもなおテレビを通じて堂々と語る千葉選手をみて、私はむしろ頼もしさと喜びを感じたものだった。

ところが、日本社会はこの千葉選手の明るさと朗らかさを受け容れなかった

「オリンピックをバカにしている」「わがままだ」などというバッシングが、千葉選手に向けられたのだ。いまで言う「炎上」というやつである。

千葉選手への攻撃はメディアのそれだけに留まらなかった。次のシドニー五輪の代表選考会に五輪標準記録を突破して優勝したにもかかわらず、代表に選ばれなかったのだ。生意気な千葉は五輪に連れて行かない、という連盟幹部の匿名のコメントも紹介される。こうなると、もはやメディアと日本水泳連盟を共犯とする社会的リンチの様相を呈した。

千葉選手は、当然にこのアンフェアな決定を不服としてスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴した。だが、訴えは認められず、シドニー五輪には出場できず、そのまま引退を余儀なくされた。

この「千葉事件」はその後のアスリートたちに悪影響を与えた。競技に向かう選手たちは、試合よりも所属連盟の幹部たちに気を遣うようになったのだ。
これ以降、日本人選手たちが、五輪などの国際大会で心から楽しみ、自由な発言をすることがめっきり減った

五輪での日本人選手の謝罪文化はこうやって確立されていったのではないか。

4年に1回のオリンピック。観る方にとってみれば4年に1回のお祭り程度の認識だが、選手にとってみれば長く苦しい4年間の集大成なのだ。せめて、ハレの舞台である五輪くらいは、楽しませてあげてもいいのではないか。謝罪など考えずに…。

どうせならば、各競技連盟には、試合後のインタビューでの謝罪は禁止するくらいの心意気をみせてほしいものだ。

image by: Shutterstock

 

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