無添加パンに大行列。岡山の知られざるパン専門店「リエゾン」の挑戦

 

若手時代の過酷な労働~常識を覆すパン屋経営         

河上は1962年、大阪市で洋品店を営む家に生まれた。大阪屈指の進学校に進んだが、父親が事業に失敗。大学進学を断念した。食うために就職したのは大手ベーカリー。徒弟制度が残る厳しい職場で、誰よりもがむしゃらに働いたという。

22歳のとき独立。開業資金1400万円は借金でまかなった。支えてくれたのは姉さん女房の明美さん。河上は家族に楽な暮らしをさせようと、必死にパンを焼き続けた。

「徹夜でも何でも構わないと、寝る時間なんて関係なく仕事をやっていました」(河上)

当時のパン職人は早朝から深夜まで働くのが当たり前。中でも河上は、職人仲間も驚くほど猛烈に働いた。深夜疲れ果てて小麦粉の袋の上で仮眠を取り、再び早朝から仕込みを始める毎日。傷めた腰に麻酔を打ってまで働き続ける河上に、明美さんはこう言った。

お父さんいつまでそんな無茶な働き方するつもり?そろそろ働き方を変えてみたらどう?

「働き方を変える」。この言葉が河上の考えを変えていった。河上を支え続けてきた明美さんは3年前に他界。妻が眠る大阪に、河上はたびたび足を運んでいる。

パン職人ではなくて経営者になれたのは妻のおかげかな、と。7歳年上だったということもあって、諭された」(河上)

1996年、河上は子どもの喘息の療養のため岡山に移転。ここで経験と勘に頼ってきた職人からの脱皮を図る。河上は一つ一つのパンの製法を記したマニュアルを見せてくれた。これが5日間の研修でパン職人を養成するリエゾン・プロジェクトの土台となった。

もちろんマニュアルは店でも生かされている。新人スタッフには、このマニュアルに沿って体系的にパン作りを指導していく。

さらに、新人を早く一人前にするためのちょっと変わった仕掛けがある。「ヨーロッパ工房」と名付けられた工房では、クロワッサンやフランスパンなど、ヨーロッパ系のパンだけを専門に作る。工房を7つに分けて集中的に作ることで技術が早く身につくのだ。

「それぞれの工房に新人が配属されても、一か月二か月くらいで大体のスタッフは仕事ができるようになるんです」(河上)

今やおかやま工房の年商は6億円。40人いる社員は若者が多く、将来の独立を希望している者も。河上はスタッフの独立も支援しており、これまでに独立したスタッフは50人に上るという。

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