ヘレン・ケラーが支えにした盲目の天才国学者、塙保己一の大偉業

 

学者への道

しばらくして乗尹は、保己一に言った。

「わしの所には毎月、『源氏物語』や和歌の講義をしてくれる萩原宋固(そうこ)という先生が来る。お前も一緒に講義を聞いてみてはどうか

「源氏物語」という本の名は幼い頃、母におぶわれて目医者に通っていた頃に聞いた覚えがあった。保己一はとびあがる思いで「はい、どうか私にも講義を聞かせてくださいませ」と答えた。

講義の日には座敷の隅に座って、じっと聞き入る保己一の姿に宋固も心を動かされていった。そこで講義の後に、保己一を呼んで今まで講義したことを尋ねてみた。保己一は的確に答えただけでなく、難解だった点をいくつか上げて宋固の意見を求めた。宋固は問いに答えつつ、内心舌をまいた。

乗尹は保己一をぜひとも宋固の門人に加えてやりたいと思い、雨宮検校の所に行って、保己一の比類のない才能について話し、きちんと系統的な学問をさせる必要を説いた。雨宮にも異存はなかった。こうして保己一は宋固の門人として学者への道を歩み出すことになる。

自分に与えられた天命

保己一はいつも穏やかに人に接することを自分に誓っていた。学問をするには短気を起こしてはならない、感情に左右されるようなことではいけない、と思っていたからである。貧富で人をわけへだてることはなく、犬や馬にさえ大声で叱ることもなかった。日々の暮しは学問第一、粗末な食事に、冬でも足袋なしで過ごし、少しでもお金ができると書物を買った。

保己一の噂を聞いて、大名家からも藩で秘蔵している本を持ち込んで、正統な典籍かどうか調べて欲しいという申し込みが舞い込むようになった。あちこちに埋もれていた貴重な書物が次々に保己一のもとに集まってくる。

「そうだ。古書古本の保存研究こそ、まだ誰もやっていない事業だ。前人未踏のこの事業こそ自分の成すべき仕事ではないか」

こう気づいた保己一は、村田晴海の和学大概」に古書古本の研究の大切さが説かれているのを思い出した。

すべて学問をするには古からの日本の国体を知らねばならない。国体を知るには古書の研究が必要であるが、そうしたことを好む人びとが少ないために古書が失われて、百年もたったら全く跡形もなくなってしまうだろう。これは太平の世の恥である。誰かこれを研究して後の世に残したなら、それこそ国の宝となるであろう。

あちこちに散らばっている古書古本は、放っておけば活用されることもなく朽ち果てていくであろう。これらを叢書としてまとめた形で、新たに版を起こして出版すれば、後世の研究者にとって大きな助けとなる。これこそ自分に与えられた天命だと思われた。安永7(1778)年の暮れも押しつまった深夜、保己一33歳の時であった。

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