3.狩野会見は謝罪の原則を実践できたのか
この会見については動画だけでなく、ニュースとして会見の一問一答もすでに報道されており、それなりに正確な内容が伝わっているようです。直前までの「狩野も終わり」「芸能界から消えろ」という否定一辺倒だった一般コメントは微妙に変化し、「だまされたなら仕方ない」「相手の年齢なんていちいち確認しない」「そもそも情報を売った(公開した)やつが悪いのでは」といった、擁護的なものが見られるようになりました。
圧倒的な不評から、一部でも擁護論が出るというのは、謝罪としての機能が働いていることを意味します。ちなみに私も会見を見る限り、納得感を感じました。この先の報道の仕方によって、まだ世論は変化するでしょうが、少なくとも記者会見そのものはしっかりと構成されていたいと思います。
具体的に見てみましょう。
この会見ポイントは3つです。
- 相手が未成年だと知っていたか
- 相手とその親は許しているか
- 悪いのは誰か
「1.」は最大のポイントですが、「2.」と絡め、終始「知らなかった」で通しました。「知っていた」か「知らなかった」かを証明することは不可能ですから、どう釈明するかは「2.」にかかっています。狩野氏は「本人から(ウソをついたことを)謝られた」「相手の両親からも謝られた、応援していると言われた」という説明をすることで、この2つを同時に押さえたのです。
この論法を成立させるため、今回の事件が明らかになってからだと本人は言っていますが、親元を訪ね直接対話をしたそうです。つまりその場で今回の柱となる説得材料を得ていたのです。
取材陣はしきりに肉体関係の有無を問い質します。しかし狩野氏はいつものヘタレキャラと違い、その一点だけはどれだけ執拗に問われても「相手が十代なので、具体的表現はできません」と返します。これは見事な反駁です。事実上は恋人同士の大人の関係を認めつつも、決定的言質を取りたい取材陣を突っぱねていますが、それを自分の名誉や防衛ためではなく、「相手のため」と言い訳できる非常に高等な反論だと思います。
結果として情報を売られたような狩野氏ですが、相手のことはもちろんその友人と称する人物含め、誰のことも非難しません。謝罪の原則である「言い訳のために謝罪するのではない」ということがきっちりと実践できていました。
「相手が十代だと知って関係を持った」という前提がなければ淫行は成立しないし、「だまされた」という非難をすれば相手側との関係性が崩れてしまいます。この両方を維持することが最も大切な点でしたが、最後までその方針を貫けた点で、今回の狩野氏の会見は高い完成度を持っていたといえるでしょう。