マリー・アントワネットも虜に。伝統工芸「漆」は日本を救うか

 

30~40工程もの漆塗り作業

漆を器に塗る作業は30~40工程にもなる。それは奈良時代に行われていた方法とあまり変わりない。漆器の素地としては木材のほか、竹、紙、金属、陶磁器、皮などがあり、それぞれの素地作りに専門の職人がいる。

木材にしても、用途にあった材質とくせを熟知していなければならない。板物は硯箱など箱状のものを作るためで、檜(ヒノキ)、杉などが用いられる。挽き物は欅(ケヤキ)、栃(トチノキ)などを、ろくろで回して削り出しながら、腕やお盆など回転体を作る。

これらの素地にうすく漆を塗っては乾かす、という作業を何度も繰り返す。ほこりが入ると台無しになってしまうので、塗りは一番奥まった部屋で行い、作業中は人の出入りを禁ずる。「伏し上げ(塗った際のほこりを取る作業)3年、へらつけ(漆の下塗り)8年」と言われるように、長年の熟練がいる。輪島塗などの高級漆器は30回以上の上塗りが施される。

蒔絵を施す場合には、中塗り面に漆で模様を描き、蒔絵粉(金や銀の粉)を蒔いた後に、上塗りをする。一晩経って固い塗膜ができた後で、炭で研ぐと埋め込まれていた金銀の模様が現れる。その上に、透明の漆を繰り返し塗って平らにする。最後は鹿の角などで磨き、艶を出して仕上げる。

湿気の中での乾燥!?

漆を乾かすには、引き戸のついた「湿(しめ)し風呂」という特別の棚に入れる。この中で温度20~30度、湿度65~80パーセントを保つ。なんと漆は高い湿度の中において乾かすのである。この不思議なメカニズムを科学的に解明したのが、明治16年に吉田彦六郎いう研究者がイギリス化学会誌に発表した論文であった。

漆が固まるのは、主成分であるウルシオールの分子どうしが相互に固く結合されるからである。その縁結びの役割を果たすのがラッカーゼ酵素だが、この酵素は湿気が高いと活性化して、空気中の酸素を取り出し、それを使ってウルシオール分子同士の結合を促進する。

人工漆の開発に取り組んでいる京都大学工学部の小林四郎教授(注:2003年当時)は、このメカニズムをウルシの木の生体防御システムではないか、と推察している。動物が傷つくと血が固まって傷口を塞ぐように、ウルシの木も樹液で樹皮の傷を塞ごうとする。その時にラッカーゼ酵素を使って、空気中の酸素を取り込み、ウルシオール分子の結合反応を進める。こういう生体防御システムが漆器に備わっているのであるから、「漆は生き物だ」というのもあながち誇張ではない。

ラッカーゼ酵素は湿気があればいつまでも働き続け、ウルシオール分子の結合は20年も続くと言われる。時を重ねていくに従ってますます艶が出てくるという漆の特徴はここから来る。漆塗りの職人も、塗り上げた時に良くできたかどうかは分からない。塗り方を工夫してから、何年も経ってその結果を見る、そんな忍耐強いサイクルを繰り返しながら、漆の技術は蓄積されてきたのである。

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