まず、正解を求めるという発想を捨てることです。正解を求めるのではなく、対話を通して相手といかに妥協したり合意したりするかという能力を養う必要があるのです。また、いかに自分の意思を相手に伝え、相手の発想を取り入れ、そこから相乗効果 synergy を生み出す能力を養うかということが大切なのです。一つの正解を選ぶのではなく、正解を人とのコミュニケーションを通して模索するノウハウを磨く必要があるのです。
完璧を求める必要もないのです。例え文法上の過ちがあったとしても、それにこだわるよりも、相手に通じる英語を模索し、相手と話し合う英語力を養うことが求められるのです。我々がカジュアルに日本語で会話をしているとき、誰が文法に正確な書き言葉のような日本語を喋っているかを考えれば、人とのコミュニケーションに文章上の完璧さがそう必要ではないことは容易に理解できるはずです。
まず、相手と話ができるようにならなければなりません。その上で、より洗練された作文力や言葉を操る能力を磨くために、文法や発音のチェックが必要になるわけです。今までの学習方法とはその順序が全く逆にならなければ、活きた語学学習はできないのです。
時代が変わるときには、それまでの利害や常識にとらわれない第三者が変革の旗手になることが必要です。英語改革でいうならば、その第三者とは、日本の事情を知らない海外の話者かもしれません。海外の人に直接挑み、会話をし、試行錯誤の中から本当のコミュニケーション力を養うことができれば、日本の英語教育改革も本物の改革へと進化できるはずです。
武士を残さず、武家社会を維持してきた制度や常識を覆すことと同じことが、英語教育の世界でできるかどうか。これは日本の将来の競争力を左右する重要な選択なのです。
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