憲法学者・横田喜三郎の「うそ」
こうした「直き心」は、日常生活では「嘘をつかない」事につながる。
かつて横田喜三郎という憲法学者がいた。昭和24年に『天皇制』という本を書いて、「天皇制は封建的な遺制で、民主化が始まった日本とは相容れない。いずれ廃止すべきである」という趣旨の主張をした。こういう主張をした人間が、昭和30年代に最高裁判所長官となり、最後は天皇陛下の前に出て勲一等を受けている。その過程では、東京中の古本屋を回って、『天皇制』の著書を買い集め、世に流布しないようにしたそうな。
横田氏の主張の是非はともかくとして、こういう姿勢に大多数の日本人は疑問を感じるだろう。最後まで「天皇制を廃止すべき」という信念を抱いていたのなら、天皇から勲一等を授けられる事は辞退すべきだ。それが自らの学問を貫くということである。
あるいは、以前の主張が間違いだったと考えを改めたのなら、堂々とそれを公言すべきである。それによってこそ、日本の憲法学の進歩にも貢献できたはずだ。
横田氏に良心があったのなら「うそ」をついたという呵責に苦しんだろうし、良心がなかったのなら、いつ「うそ」が露顕するかと不安に苛まされたろう。いずれにせよ、その心は「平らか」ではなかったはずだ。こんな心持ちではいくら勲一等を貰っても、とても幸福な人生とは言えまい。「直き心」で生きていくことは、幸福への近道である、というのが、日本人の古来から智慧であった。
「革命のためには嘘も暴力も許される」などと倫理性に欠けたマルクス主義にかぶれたばかりに、横田氏はこういう日本人本来の智慧を見失っていたのであろう。
「日本人的思考は超少数派」
しかし、横田氏の態度に疑問を感じる大多数の日本人の考え方そのものが、世界では超少数派のようだ。あるフランス在住の日本人女性が、こんな体験を書いていた。
外国人向け仏語教室で私が、「こちらでは大人でもスーパーでお金を払う前に食べたりしている。マナーが悪い」と言ったところ、そこにいたスペイン人、アラブ人、ロシア人などが「それのどこが悪い?」と集中砲火を浴びたのです。
私の友人も教室で「道でお金を拾ったらどうするか?」という質問に「警察に届ける」と答えたら、「ナイーブすぎる」「バカだ」「どうして警察が信用できる?」とこれまた集中砲火。
要するに多数決でいったら日本人的思考は超少数派なのですね。
この日本人女性の言う所の「日本人的思考」は、「直き心」を大切にしてきた日本の伝統そのものなのである(もちろん、それは日本人の独占物ではなく、他の古い共同体社会にも見つかるが、現代世界では「超少数派」であることは間違いない)。