「『大きな犠牲』が生まれるまでは」
テヘラン事件の教訓として、安倍晋太郎(安倍晋三現首相の父親)外相の提言で、政府の判断ですぐに救出に向かえるよう2機の政府専用機が導入された。しかし、問題は機材ではなく、法制の壁だった。
平成27(2015)年に成立した平和安全法制で、ようやく在外邦人の「輸送」だけでなく、「救出・保護」が自衛隊の任務に加えられたが、それを許す諸要件には、以下が含まれている。
- 当該領域国が公共の安全と秩序の維持に当たっており、かつ戦闘行為が行われていないこと。
- 当該領域国の同意があること。
北朝鮮軍がソウルに砲撃を行い、当然、韓国軍が反撃したら、「戦闘行為が行われていないこと」という条件に引っかかって、自衛隊は邦人救出に行けない。しかも邦人保護のための自衛隊派遣に韓国メディアは猛反対しており、韓国政府がそれを振り切れるかどうかも分からない。従って現行法制内では朝鮮有事の際に、自衛隊は邦人救出に行けないのである。
かつて、ペルー日本大使公邸占拠事件で、日本企業駐在員らと127日間の人質生活を送った青木盛久・元ペルー大使は、こう語っている。
邦人救出のために、自衛隊機も行くことができ、そして、そこで何があろうと、自国民を救い出してくる。そういう選択肢をたぶん日本は、「大きな犠牲」が生まれるまでは、持たないだろうと思うんですね。
つまり、その選択肢を持っていなかったために、海外で、多くの邦人が命を失うということにならなければ、国民の意識は変わらないと思います。だって、集団的自衛権の極めて限定的な行為を認める法律でさえ、これだけの騒ぎになるんですからね。
(同上)
「大きな犠牲」が生まれるまで、世界中の国が行っている自国民救出という当然の責務を果たすことさえ法的にできない。その法制の問題を論ずべき国会が森友学園問題などで空転している間に、数百、数千人単位の「大きな犠牲」が生まれる「危険」がひたひたと押し寄せているのである。
文責:伊勢雅臣