かつて日本に捨てられた日本人。いま朝鮮半島有事ならどうなるか

 

「怖いのは、窓ガラスなんですね」

1985(昭和60)年3月12日午前2時半、イラク軍機がテヘランを爆撃し、イラン軍が対空砲火で応戦した。その時、駐イラン公使の高橋雅二は自宅にいた。

3月12日未明のことですが、私は寝ていました。家族も寝ていました。爆心地からは、1キロか2キロはありましたが、それでもすごい音がして、グラグラッと揺れたんです。
(『日本、遥かなり エルトゥールルの「奇跡」と邦人救出の「迷走」』門田隆将・著/PHP研究所)

高橋一家は、こういう事態に対して、備えをしていた。

実は、私がその家に初めて入居した時、壁に刺さっている窓ガラスの破片を見たんです。それは、私が入る前に、爆発で家のガラスが割れ、壁に突き刺さったものでした。

 

怖いのは、窓ガラスなんですね。それで、子供たちも全部、窓からずっと離れたところにベッドを置いて、窓の外の戸を閉めたうえに、内側もカーテンをギュッと閉じて、爆風でガラスが飛ばないようにしていたんです。

 

寝る時は、「今晩も爆撃がありませんように」と言って、その準備をするのを習慣にしていました。だから、12日の晩は、「ついに来たな」という感じでした。(同上)

テヘランの在留邦人約450人のうち3分の2近くが住む住宅地区でも、20戸ほどのアパート、住宅が破壊され、多くの住民たちが泣き崩れた。死傷者は分かっただけでも70人以上にのぼった。

「とにかくドイツ人を優先します」

田中新三・住友銀行テヘラン事務所長は、イラン暦新年の休暇を利用して、3人の子供と妻の家族全員の分のルフトハンザ便3月17日発のチケットを予約していた。しかし、3月16日の朝に日本から入ってきたテレックスに、田中は青ざめた。「確認できないが、明日の臨時便をもってルフトハンザがサービスを中止するとの噂あり」というのである。

田中はその足で、テヘラン市内のルフトハンザ事務所に駆けつけた。ごった返している所内の人混みをかけ分けて、ようやくカウンターにたどり着いた田中に、イラン人の所員は「この便はキャンセルされました」と答えた。「待ってくれ」と食い下がる田中に、所員はこう説明した。

あなたがお持ちのルフトハンザのコマーシャルフライト(通常便)は、キャンセルになったんです。飛行機は飛んで来ますが、それは、ドイツの国としての救援機なのです。したがって、あなたのコマーシャルフライトの予約は、無効です。
(同上)

それでも本来のチケットを持っているのだから救援機に優先して乗せてくれ、と田中は必死に食い下がった。3歳の幼子を含めて3人の子供をこの空襲下のテヘランに置いておくわけにはいかない。しかし、イラン人の所員は、こう繰り返すだけだった。

とにかくドイツ人を優先します。座席が余るようでしたら、ほかのヨーロッパの国の人を優先します。さらに座席が余った場合は、イラン人と日本人も収容できるかもしれません。
(同上)

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