文学の才能はあった。知の要素を文筆活動に活かすことができた。でも、それだけではまだまだ足りないほど活かすべき知の要素がたくさんあったのです。そして、生きていくために、普段の生活の中でそれを活かすことができなかったのだと思います。
多くの人にとっては小説を書くより簡単なことでも、太宰先生にとっては厳しすぎると感じられたり、かといって、ただ周りから甘やかされていると宿命の土台がゆらいで、何もできない人になってしまう。太宰先生の宿命には、そういう特徴があるのです。宿命のなかに、厳しさをやわらげてくれる要素がまったくないのです。ですから、普通に考えると大したことのないちょっとした人生の問題も本人にとってはとても辛いことだったのかもしれません。
活かしきれなかった知の要素は本人のコントロールを失い、無意味な考えや思い込みにとらわれどんどん追い詰められてしまったのかもしれません。もっとも、そうして生じた葛藤が小説を書く原動力になっていたのかもしれませんが…。
最後は不倫相手の女性と心中を図り38歳でこの世を去りました。
天命を知って、人事を尽くそう!
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