太宰治は本当に「人間失格」だったのか? 算命学で見る文豪の宿命

 

太宰治さんは、1909年、大地主の家に10番目の子供として生まれました。父親は県会議員や衆議院議員を努め太宰先生が14歳のときに他界しました。母親が病弱だったため、太宰先生の世話は新生児の頃から乳母や叔母がしてきたそうです。

太宰先生の宿命の土台をしっかりしたものにするためにこの環境は適していたのでしょうか? ポイントは、両親の母親、つまり太宰先生の祖母と実際に育児にあたっていた乳母や叔母にあります。ふたりの祖母がかなり厳しい人で、その厳しさを和らげるように乳母や叔母が間に入ってとりなしてくれる。かといって、ただ甘やかすというのではなく押さえるところはきちんと押さえてしつけてくれる。そういう環境がひとつの理想です。

実際のところはどうだったのでしょうか? 私に真実を知るすべはありませんがそれでも、成人後の大宰先生が知の要素をきちんと活かせていたかどうかを見ればだいたいのところは推測できます。

子供の頃の太宰先生は、小学校を成績トップで卒業。進学後も学業成績は優秀人柄もよく人気者で級長を努めたこともありました。地元の名士の息子なので、実際の学力にかかわらずもれなく良い成績をもらえたという話もありましたが実際のところ優秀な生徒でとくに作文力は突出したものがあったそうです。10代から小説に親しみ、友人と同人雑誌を発行したり自らも執筆をはじめていました。やがて本格的に小説を書くようになると学校の成績はどんどん落ちていったそうです。

ここまで、太宰先生の知の要素は十分に発揮されていたのでしょうか?

勉学に関しては優れたものがあり小説家としての活動も、早くから始めていました。小説にのめり込みすぎたためか他の勉強はおろそかになってしまったようですが知の要素にかたよった宿命ですからなにかしらの知的活動にかたよった生き方は決して悪いことではありません

これだけなら、上手くいっているように見えるのです。これだけなら…。

子供の頃から級長を努め学業も優秀。大学に進んでからは、勉強の方は疎かになったようですが戯曲や小説の執筆に励んだ太宰先生の宿命は十分に活かされていたのでしょうか? あれこれいろいろ考えてしまう傾向は人生において上手く機能していたのでしょうか?

私生活に目を向けると、いろいろ問題が目立ちます。まずは多くの女性問題、それに伴う金銭問題、就職の問題複数回にわたる自殺未遂や心中騒動、そして薬物依存などなど…。芥川賞を3回にわたり落選したときには選考委員だった川端康成から、私生活の乱れを指摘されちょっとしたいさかいになったこともありました。

自己嫌悪人間不信異性への依存心などなど精神的にはボロボロの状態だったようです。やはり、宿命の土台がきちんとできていなかったのでしょうか?

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