さて、今回、ロボット兵器の話から、この「一国を泥沼の内戦にする戦闘員の数」を出した理由についてだが……。
自分の肉体の痛みや恐怖を実感せざるをえない旧来型の戦争であるなら、せいぜい0.05パーセントとか0.1パーセントの人間しか、「よっしゃ、本物の戦争やろうぜ!」ということにはならない。しかし、ロボット兵器を使うことになると、今までは「戦争なんか実際にやるのはイヤだ」と感じていた99.95パーセントの人たちの中から「ロボットでやるなら、ゲームみたいなものだし、やってみようかな。ちょっと隣の国、ムカつくし」という人を戦争屋のほうへリクルートしてしまう可能性が高まる。
自分は戦場へ行かずロボットにプログラミングすればいいという気楽さから、戦争はいきなり何十倍にも拡大するリスクを持つ。自分が戦場で殺されない痛い思いをしないだけでなく、兵士としての厳しい訓練も必要ないし、戦場での苦しい生活もしなくていい。重い装備を担いでの行軍もない。ねっ、これなら、「戦争やってみたいかも」っていう人が増えちゃうよ。
「でも、ロボットvsロボットの戦争が主であれば、生身の人間の戦死者は減るのではないか」という見方をする人もいるだろう。
ところが、戦争の大きな目的のひとつに、政治力の一手段というものがある。政治の一手段として相手国を威嚇したり抑圧支配従属などの取引を突きつけるためには、軍事力は、人間に対して恐怖や痛みを与えるものでなければならない。
ロボット兵器の攻撃を、ロボット兵器でうまいこと受ければいいという理想論は、旧来の戦争が軍隊vs軍隊の戦いで完結せずに、軍人以上に一般市民が死んでしまう結果になっていることからも、そうはうまくいかないことがわかるであろう。
これらのことから、ロボット兵器が通常兵器として世界に溢れた場合、「生身の人間同士の戦争だったら絶対にイヤだ」という平和的な人たちが、プログラミングやメンテ運搬などいろいろな形で、戦闘に参加し、戦闘は、世界中に広範化し長期化し、トータル的に戦死者は増えるであろう。
平和な町でプログラマーなどの技術者たちは戦争国の殺戮戦闘に参加し、暗殺をプログラムされたロボットが、敵の優秀なプログラマーを殺しに平和な町に潜入する。どこかの平和な町に大量殺戮プログラムを仕込まれたロボットが何十年間も潜んでいるかもしれない。
ロボットが敵にハッキングされて制御不能な動きを始めるかもしれない。自律型ロボット兵器が世界中に拡散すると、戦闘行為が場所を選ばずにエンドレスに続く可能性も出てくる。自爆型ロボットが、主要都市にこっそりと潜伏投入されるかもしれない。
なぜ、ロボット兵器同士の戦争では終わらないのか、なぜ、人間は戦争に肉体的苦痛や死の恐怖を必要とするのか。それは、肉体的痛みや死というのは、金持ちも貧乏人も、権力者も下層民も、ほぼ同じようなレベルで「怖い」と感じるからなのだとおもう。「痛い、死にたくない」に関しては、全人類おおかた平等だ。だから、痛みや苦難に勝ち、死を恐れない人間には、権力者や大金持ちよりも尊敬されるチャンスがある。
というわけで……、考えようによっては、痛みや死の恐怖が赤裸々に想像できることが、戦争拡大の抑止力になっているのかもしれないよね。戦争が拡大しないためには、戦争は悲惨である必要がある。……あれれ?……こんな論理展開でいいのだろか……。
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