「自分は何者でもなかった」「自分は一体何者なのか?」などという考えに縛られ、がんじがらめになってしまうことは人間なら誰しも経験があるのではないでしょうか。薬剤師がつくる専門家集団 「Fizz」代表でもある小原一将さんの無料メルマガ『人間をとことん考える(人間論)』では、この「自分は何者なのか」について小原さん自身の捉え方、考え方を紹介。あなたは「自分」というものについて、どう考えていますか?
何者でもない自分について考える
私の好きなマンガに「自分が何者であるか」という話があった。これはいわゆる自分探しのような意味合いであり、何者であるかを探し求めて会社に入り社会人になったが何者でもなかったことが分かるという内容である。
人によって捉え方は様々だろうが、私は決してポジティブではない何とも言えない気持ちになった。
結論から言うとほとんどの人は何者でもない人間であると言える。子どもの頃に夢見ていたものはいつの間にか消え去り、昨日と同じ今日を我慢することで生きていけると自分に言い聞かせる。
ただ私は一度しかない自分という人生を何者でもない他者と同一の個体として終えたくないと思う。そのために自分は何者であるかを定義しようと試みる。このことは人より優れている人間でありたいと思っているのではない。自分というものをどのように表現することができるかということであり、かなり主観的な行為であると言える。
あなたは、何者か? と問われるとどう答えるだろうか?
〇〇会社の課長だったり、父親だったり、兄だったり、野球が好きだったり、背が高かったりといった特徴が並ぶはずだ。しかしそれは周りにいる他者と比較して自分がどうあるかという表現であり、真の自分を表していないように感じている。
ではどのように表現することが良いのかと言われると分からない。今ここに私がある理由、そしてどのようにあり続けるべきなのかといった果てしない問いに発展しそうである。
「いつかは安定しないといけないんだから」とのアドバイスを最近もらった。私は他の人に比べて安定した人生を歩んでおらず、周りがそう言いたくなる気持ちも分からなくはない。
この「安定」という言葉が何者であるかの一つのキーワードであるようにも思った。「安定」している人は、他者から見て分かりやすく見える。その人を測るための条件の一つなのかもしれない。
「安定」していない人は定義しづらい。自分の周りにいる「安定」していない人を思い浮かべてもらいたい。こんな人であると他の人に説明しづらいのではないだろうか。
つまり何者かであるためには「安定」していない状態であり、その人を簡単には言い表せない雰囲気があるように思う。
このように考えていて思ったのが、何者かであるためにはその人そのものであり続ける必要があり、決して安易なカテゴリーにはまるような人ではないのだろう。要するに、イチローは常に私たちから見てイチローであり、それ以外の人ではないと言える。これが、何者かであるということではないだろうか。
もっと詳しく言うと、私たちはイチローの言動を想像して考えることができ、イチローがもしだれかと同じようなことをおこなったり、同じようなことを言っていたら、それはもうイチローではなくなってしまう。つまり何者でもなくなってしまう。
何者でもないと思ってしまうのは、自分が周りと同じような人生であると感じてしまい、自分が自分であり続けられないことが原因なのかもしれない。
とりとめのない文章になってしまったが、自分が何者かにならなければいけないわけではないし、何者でもなかったらいけないわけでもない。
ただ私は、自分は自分であり続けたいと思っており、自分の人生は自分で生きたいと考えている。そのように考えていると自分が何者であるのかという問いには敏感に反応してしまうのだ。
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