「五輪エンブレム撤回」新聞各紙はどう伝えたのか?

 

権威主義を脱するにはどうしたらよいのか

【朝日】は1面記事の最後に、編集委員・稲垣康介氏による「視点」を付けている。「自分たちに理念がないから権威に頼る構図は、今回のエンブレム問題も同じではなかったか」として、新国立競技場問題では世界的な建築家ザハ・ハディド氏の権威に、エンブレムでは著名なデザイナーである佐野研二郎氏(そもそも応募条件が著名なデザインの賞を2回以上受賞していることが応募条件だった)に頼った文科省と日本スポーツ振興センターの体質を批判している。

大会招致を目指していた段階で使っていたエンブレムは、大学生が作ったものだった。東日本大震災からの復興をイメージしたもので、五色の桜の花びらをリースの形に配してある。専門家や権威に頼れば完成度は高くともメッセージ性が軽視される。稲垣氏は、「国民に広く愛されるエンブレムを作りたい」(武藤事務総長)なら、透明性のある、国民により開かれたやり方で、東京が5年後の祭典に向けて世界に発信したいメッセージを明快に打ち出してほしいと結んでいる。

2面の「時時刻刻」には、撤回決定過程の詳細が書かれている。審査委員代表の永井一正氏は説明を求めて面会した折、「佐野さんは気の毒なほど疲労困憊していた」という。改めて8人の審査委員に意見を聞くと、1人だけ「臆することなく使い続けるべきだ」と主張したが、残りの7人は「取り下げやむなし」だったという。

スポンサーのなかには既にかなりエンブレムを広告などに使用していた会社もあるが、損害賠償を求めるか否かについて「現時点では検討していない」という。「国立競技場の建設計画もだが、もう1回、ゼロベースでみんなに歓迎される手法でやったらいい」と述べる経済同友会の小林喜光代表幹事

uttiiの眼

ああ、ありがちな、《朝日》的な批判スタイルだなと思って稲垣編集委員の「視点」を読み始めたが、後半になって説得力のある文章に思えてきた。招致段階のエンブレムをそのまま写真で紹介しているのだが、これがなかなかよい。これをそのまま使えばいいのではないかという気もする。あるいは、デザインに興味がある子どもたちからエンブレムを募集し、選ばれた作品を、プロのデザイナーと一緒に完成作品に仕上げていくというのはどうだろう。いくつかを組み合わせてもいい。絶対に模倣でもなければ盗作でもない、トレースでもない、世界に2つとないエンブレムが出来上がるのではないか。そして、応募作品は作者名とともに全作品を必ず公開する。そのなかから将来の世界的なアートディレクターが生まれてくるかもしれないし、何か生きていく上で大事なものを掴み取る子が出てくるかもしれない。そう考えると楽しい話なのだが。組織委員会にそんな度量はないんだろうな。

この話、実はまだ終わっていない。ベルギーのデザイナーで、自分のロゴが盗作されたとして訴訟に訴えているオリビエ・ドビ氏は、IOCが盗作を認めるまで訴えを取り下げないという。理由は、IOC(もちろんJOCも)が盗作を認めていないからだ。

「盗作とは考えていない」という組織委の説明には不分明なところがある。佐野氏の作品が盗作でないのなら、審査委員の1人が「臆することなく使い続けよ」と言っていることに合理性がある。取り下げるなら、何にせよ非を認めるべきだ。佐野氏が盗作を否定するのは当然だろうが、組織委やIOCが「盗作ではないのだが…」と言い続けることに問題はないのか。結局、エンブレム撤回の責任を一般国民に押しつけようとしていることになる。

エンブレム撤回は一般国民のせい???

組織委は、このエンブレムが盗作でないとは確言できない、その可能性を否定できないからこそ、撤回するのでなければならないと思う。

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