全然知らなかった。学校の銅像でおなじみ「二宮金次郎」のスゴさ

chichi20171222
 

かつては小学校に当たり前のようにあった「二宮尊徳」の銅像。学校の七不思議のひとつに数えられる程お馴染みのものでしたが、最近では「本を読みながら歩くのは危険」などの理由で撤去されているのだとか。少し寂しくもありますが…、今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、意外と知られていない二宮尊徳の偉大さについて、いくつかのエピソードを紹介しています。

二宮尊徳

月刊『致知』では、歴史上の偉大な人物の歩みを取り上げることが少なくありません。それは読者から大変好評を得ています。1月号で紹介している二宮尊徳もその一人です。

尊徳が広く知られるきっかけとなった『報徳記』について経済コラムニストの木村壮次さんが語られた記事の一部を紹介します。

仕事と人生 木村壮次(経済コラムニスト)

『報徳記』を読んで強く印象づけられたのは、身分制度が確立していた江戸時代に一介の農民から身を起こし、多くの衰退した藩や村を復興させ、人々を善導していった尊徳の卓越した手腕です。

尊徳は早くして両親を失うなど大変辛い少年時代を過ごしていますが、その艱難辛苦が尊徳を偉大な人物へと押し上げていく原動力になったと言えるでしょう。

例えば母親の病没後、尊徳は十六歳で父方の伯父・万兵衛に預けられましたが、夜学のために家の灯油を使っていたことを咎められると、川べりの荒れ地を耕して菜種を蒔きその実りをもとに灯油を調達して勉学を続けるという強い意志を示しました。

それでも「農民にとって勉学は無益なこと」と断じる万兵衛に対して、尊徳は夜になるとむしろ織りに精を出し、人々が寝静まってから密かに勉強を続けたといいます。勉学によって父祖伝来の家を再興せんとの思いの表れだと思われますが、若くして尊徳が学問に秀でていたことは次のエピソードからも窺えます。

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