パンに比べてコメ作りは努力してきたか? 米卸業の危機感が生んだ大変革

 

日本一の“コメ屋”が手がける「究極のおにぎり」店

7月中旬、神明に新たな動きが。社員が一生懸命握っているのはおにぎりだ。実は神明初の直営おにぎり店をオープンさせる計画なのだ。女性に人気の玄米100%のおにぎりを目玉の一つに据える。さらに「日本で一番高いだろうとされるお米」もおにぎりに。その米は神明直営の米屋で売られている究極の銘柄米いのちの壱」。1キロ1800円する。

「我々みたいな米の最大手がおにぎり屋さんをやるということは、来るお客さんも、たぶんすごく期待してくると思いますので、絶対に素晴らしい店を作りたくて、力を入れています」(藤尾)

9月中旬、神明本社の向かいにある建物に、おにぎり店」がオープンをした。米業界最大手のこだわりのおにぎり店とあって、メディアの関心も高い。「私自身も感動で目がうるむくらいのおにぎりが出来上がりました」と挨拶する藤尾。オープンと同時に行列ができた。 

自慢の米は朝一番で精米したもの。それを昔ながらのおひつに取る。具材には定番のサケや、南高梅にみょうがと大葉を合わせたものなど、10種類を用意した。

お客はまず米の種類を選び、次に具材を10種類の中から選ぶ。さらに塩まで選ぶことができる。1キロ1800円の米を使った「究極の米 塩にぎり」は一つ270円になる。

お客はお米のおいしさを再発見した様子。これこそ藤尾の狙いだ。

「お客の顔がみんな笑顔。それはすごくうれしかったです」

実はおにぎり店の出店は藤尾家30年来の悲願だった。

「私の中に祖父の思いがずっとあったのです。祖父が言ったのは、『おにぎりで米の消費を拡大する』。30年かけて実現できたなと感じております」

日本最大の米卸、壮絶なる革新ヒストリー

米ビジネスの開拓者、神明。次々と変革を打ち出すそのルーツは、藤尾の祖父で2代目社長の豊にあるという。

「今ではイノベーションは当たり前ですが、祖父の時代は変わり者とか、偏屈とか、頑固親父とか言われながら、ものすごいイノベーションをした」

戦後、国の保護下にあった米業界の中で、祖父の豊は、次々と革新を生み出していく。

例えば1972年に発売した「あかふじ米」。業界に先駆けて数種類の米をブレンド。一年中、安定した味を実現したヒット商品だ。当時は珍しかった米のテレビCMも打ち、関西では誰もが知るブランドになった。

さらに米を売る場所にも変革をもたらす。食管法のもとでは、米を販売できるのは米屋に限られていたが、スーパーでの販売に踏み込んだ。ダイエーを「米屋の分店にする」という奇策で、1971年、販売を開始した。

「ダイエーと取引を始めたことで、米屋さんを裏切ったと捉えられました。本当に時代の先を読まないとできないことだったと思います」(藤尾)

藤尾は1989年、神明に入社。祖父の元で米ビジネスを学んだ。やがて父の跡を継ぎ、2007年、4代目社長に就任した。しかしその2年後、医師から「5年生存率が30%くらいだと思ってくれ」と告げられる。難病の「急性骨髄性白血病」に侵されたのだ。半年間の闘病生活。抗がん剤治療を繰り返し、一命をとりとめた藤尾は、こんな考えを抱くようになった。

まだ死ぬなと言われてると思ったお前にはまだやらなあかんことあるやないかと。どんな仕事をしたらいいのか、どういう仕事の仕方をしたらいいのか、考えさせられました」

バナナに野菜、魚まで~日本の農業を支える

死の淵から生還した藤尾が、「まだやらなければならないことがある」と踏み出したのが、米農家の支援だった。

神明の仕入れ担当、溝端晃平が訪ねたのは、埼玉県吉川市の米農家、吉川糧農の岡野誠さん。神明は3年前から、農家に新しい品種の米を作るよう薦めている。それは岡野さんの田んぼに実る「ゆうだい21」という品種。病気に強く冷めてもおいしい。しかも神明がすべて買い取り、売り先も決まっているという。

「今までは小売店や直販以外は、誰がどう使っているのかが分からなかった。どこで使うお米を作ってください、となると、そこで使ってみんなが食べてもらえるんだとイメージできるので、すごくやりがいがあります」(岡野さん)

ゆうだい21の行き先はローソンだった。いま一部のローソンでは、店内のキッチンでご飯やおかずを作って、弁当やおにぎりを提供している。それが「まちかど厨房」。今後増やす予定だという。野菜たっぷりの「彩り野菜のビーフカレー」(598円)に、ボリューム満点の「直火で炙った焼豚丼」(530円)。冷めてもご飯がおいしいから、コンビニ弁当にうってつけなのだ。

藤尾はとうとう米屋の枠も超えた。岡山にある神明ファームの実験農場。そこで作っていたのは珍しい国産バナナだった。

「このあたりもほとんどが水田でしたが、徐々に耕作放棄地が増えてきているので、耕作放棄地を上手に利用させてもらいながらやっていく」(藤尾)

日本の耕作放棄地は年々増え、いま全国に42万ヘクタール。富山県の面積に匹敵する。藤尾は、温暖な気候の岡山なら付加価値の高いバナナが作れると考えたのだ。昨年、百貨店などで1本500円で売り出したところ、人気だったという。

耕作放棄地を神明に貸した農家も、この取り組みに希望を感じている様子だ。

「こういう形で一つの道を作ってくれるのはうれしいし、おもしろいし、夢があると思います」(米農家の小林弘幸さん)

バナナだけではない。神明の次なる事業は野菜の競りだ。全国から野菜を仕入れて市場で競りにかけ、小売店などに売る青果卸の会社東果大阪」を、今年3月に買収したのだ。

野菜をしっかり支えることによって農家を守っていくことにつながるし米と生鮮三品で日本の農業を支えていこうということです」(藤尾)

異業種に買収された「東果大阪」の吉川勝常務は、「本当にはっきり言ってびっくりしました。どうなるのかという部分もあったが、米以外の業界もやっているので、そこにも入り込んで売り先を拡大できるかなと考えています」と語る。

さらに神明は、水産加工会社や食材の宅配会社などにも出資攻勢をかけている。そんな藤尾はある壮大な構想を描いている。それが「田んぼリゾート」だ。

「最初はリゾート感覚で農作業をしながら、自分たちの作ったお米とか野菜とかを食事で楽しむ。それよって農業の世界に入っていくきっかけになるかもしれないので」

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