現代なら異常。偉人・吉田松陰が受けた武家の教育が凄まじかった

 

いくらなんでも早熟にすぎるだろうと考えるのは、ウラ事情を知らない人でして、少年吉田松陰(当時は幼名で寅次郎)は叔父(実父の弟)からしごきとも言えるような教育を受けていたんです。これが苛烈というか、非人道的というか、今同じことをやってたら、間違いなくこの叔父さんは警察に捕まっています。

ある夏の日のことでした。吉田寅次郎少年は、実の叔父さん(玉木文之進といいます)からいつものように授業を受けていました。今のようにエアコンもクーラーもない時代です。だから暑いわけですけど、それをグッと堪えて寅次郎少年は勉強していたんです。そこに暑さのあまり汗がひとしずく頬を伝ったんです。寅次郎少年はそれを手で拭ったその刹那、この叔父さんの鉄拳制裁が下ったんです。

貴様、何をした!! というが早いか、叔父さんは寅次郎少年をぶん殴ったわけですよ。それも一発や二発じゃないんですよ。少年が気を失うまで殴り続けたんです。

ここで、その理由が分かる人はいますか? なぜこの叔父さんは寅次郎少年を殴ったんでしょうか? これが分からないと、当時の人たちの精神性の高さが理解出来ないんです。

玉木文之進曰く、自分が施している教育は世のため国のため民のためである。つまりこれは、「のためにやる仕事であり、それを成し遂げるのが武士という人間である。武士は公のために命を尽くし、生涯を公に捧げるのだ、そのための教育を今やっている。ということは、この授業もまた、公のための授業である。

しかし今の寅次郎の態度は如何であろうか? 彼は暑さによって流れた汗を気にかけたのだ。汗が流れるのは「私」であり、その流れる汗が不快だという感覚もまた「私」なのだ。公のための授業をやっている最中に公よりも私の不快を優先したということが、授業中に汗を拭うという行為なのだ。つまりこの瞬間に寅次郎は、サムライの魂を捨てて下賤に落ちたのだ。そのような者はサムライとして生きる価値はない。だからその腐った性根を叩き直すために、殴らなければならないのだ。

と考えて、子供が気絶するまで殴り続ける実の叔父さんってどうですか? こんなのは現代では全く理解されないでしょうし、こんなことに耐えられる子供なんてほとんどいないでしょ。さしずめ今の子供なら、

 ■ 暑くて汗が出たんだからしょうがないじゃん

でおしまいですよ。ところが当時はそうじゃなかったんです。そしてこの考え方は吉田松陰のところだけじゃなくて、(厳しさの度合いは差があるにしろ)武家での教育上、躾をする上での常識だったんです。

print
いま読まれてます

  • この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け