いつから「沢山お金を得る事」が幸せの条件になってしまったのか

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昨年、小池百合子都知事がマニフェストのひとつとして掲げたことで何かと話題になった「ベーシックインカム」という制度。今回の無料メルマガ『人間をとことん考える(人間論)』では著者で薬剤師の小原一将さんが、この一見「無謀」にも思える政策の仕組みと「お金」のあり方について持論を展開しています。あなたは、この制度に賛成ですか? それとも反対ですか?

お金と仕事と人生の関係。ベーシックインカムの可能性について改めて考えてみる

最近、ベーシックインカムについて書かれた本を読んだ。よく聞かれるようになったこの言葉に興味を持ったので一冊読んでみようと思ったのだ。

簡単に言うと、条件を決めてモノや現金を渡すのではなく全員に最低限暮らせるだけの現金を与えてしまえという内容である。つまりこの制度が始まると、ほぼ全ての人間は飢えることなくある程度の水準で生きることができるようになるのだ。

生活保護についての終わらない論争やバラマキと揶揄される政策を目にすることが多い我々にはこの政策は無謀なものに見えるはずだ。私もそう思っている。この制度の是非はまだまだ議論が必要になるだろうが、これをきっかけに人生をお金と仕事という角度で考えた。

これはその本に例として取り上げられていた話である。ある国の田舎に漁師が住んでおり、毎日魚を捕りそれを食べ、夜は家族とゆったり静かに暮らしていた。そこに経営者が現れて、その漁の技術を使って会社を作り金を儲けることができると伝えた。漁師はその提案に従い、会社を作って多くの魚を捕り裕福になった。そして裕福になったので、家で家族とゆっくり過ごす時間を得ることができた。

この話についてどのように考えるだろうか。私はお金を得るということが色々な視点を曇らせているのではないかと考えている。現代の考え方では何をするにもお金が必要であり、幸せになるには努力をして一生懸命に働きお金を貯めることによって成し遂げられると考える人が多い。

そのために行きたくもない会社に行き、やりたくもない仕事をこなし、乗りたくもない満員電車に乗って家と職場を往復する。どれもが生きるためにお金を稼ぎ、そして幸せになるために行っているのだろう。

つまり

  • 仕事→お金→生きる・幸せ

という図式になる。このように労働力や時間をお金に一度変換することで複雑になったり実態が見えにくくなるのではないかと思っている。

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