オージーの友人に、アクセントリダクションコースに通っていることを話したところ、友人は表情を曇らせてこう言ったのです。
「日本語アクセントを失ってしまうと、あなたのアイデンティティが失われてしまう。日本人であることがあなたにとって大切なことなのよ」
びっくりしました。
オーストラリアに慣れ親しんでいるつもりでも、周囲は「日本人的キャラクター」を期待していたわけです。私が「クロコダイルダンディー」のようにふるまっても、オージーは喜ばない。むしろ、「ラスト・サムライ」の方が望ましい(笑)。
そういえば、オーストリア出身の俳優、アーノルドシュワルツネッガーも、独特のアクセントが彼のキャラの一部になっていますね。
「このコースを受けたぐらいで、アクセントが無くなったりしないから大丈夫ですよ」
と答えましたが、ちょっとした驚きでした。
それで、私なりの結論は以下のようなものです。
「大切なことは、相手がストレスなく聞き取れること。相手が苦労するほどアクセントが強いと何かと差し支える。支障がないレベルであれば、多少のアクセントはむしろキャラクターの一部となり、好意的に受け止められることもある」
もちろん、幼少期に移住してネイティブの発音が自然に身についていたら、それはそれでいいわけで、その場合は立ち居振る舞いも現地人化しているでしょう。
私のように、完全に成人してから移住した場合は、むしろ、日本人らしさ、が求められ、アクセントもその一部だったりするわけですね。
言い換えれば、周囲は私たちを通して日本を見ているわけで、私たちが尊敬されると、日本人は立派だな、日本は立派な国だな、となるわけです。
英語のアクセントからそのことに気付かされた、というお話でした。
山岡鉄秀 Twitter:https://twitter.com/jcn92977110
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