なぜ人を守る「ダム」が命を奪ったか。西日本豪雨に見る3つの課題

 

2つ目は、では「ダムというのは危険か?」というと、これは絶対に違うということです。ダムの最大貯水量が100で、通常の貯水量が60、つまり40の余裕がある場合にその上流に降った雨が40であれば、下流の災害は完全に食い止めることができます。これは極めて大事なことで、河川の水量を調節する本格的なダムもそうですし、簡易型のダムでも、あるいは砂防ダムでも同じことです。想定内の降雨であれば、災害をほぼ完全に防止できるのです。

問題は、余裕が40の貯水量のダムの上流に50が降った場合です。その場合は、少なくとも10は急いで放流しなくてはなりません。なぜかというと、ダムを水が超えて行くことになると、最悪の場合ダムが決壊するからです。万が一決壊するようだと、一気に100の水が下流に殺到して壊滅的な被害を出してしまいます。

では、今回のように満水になって余裕が0のダムの上流に100が降ったという場合です。これは放置しておけば、ダムが決壊して200の水が下流に押し寄せる、つまり流域全体には瞬時に破壊的な被害をもたらすわけです。ですから、急いで100の放流をして行ったわけです。

そのようなメカニズムを含めて、ダムの「使い方」というものを国交省だけでなく、地方自治体から地域住民までが十分に理解を共有しておくことは必要と思います。

長尾調査官の発言は、言い方としてはムチャクチャとしか言いようがありませんが、言っている内容自体は間違っていません。そして、恐らく、ダムの管理事務所の現場では、決壊か危険な放流かギリギリの判断がされていたのだと思います。そのような「ダムの意味必要性ということはシッカリと共有した上で、住民に対して「意識が低い」などというバカにした言い方は止めて、お互いにコミュニケーション体制の改善に努めるべきと思います。

とにかく、大事なのは、この肱川の悲劇を政治問題しないことです。少なくとも、このような大水害を経験した以上は「コンクリートから人へ」とか「脱ダム」などという無責任な単純化はできないと思います。

では、一部の昔の自民党の政治家がそうであったように、建設利権に絡んでダムを作ってしまえばいいのかというと、それも違います。ダムは、必要な場合は必要ですが、作っただけではダメで、適切な使い方を専門家も地域も一緒になって理解していかねばならないということです。

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