「数十年に一度の豪雨」……表現のインフレが巻き起こす二次災害

 

それから、これだけ人命が失われているにも関わらず、一種の形式主義が残っているのも見直すべきと思います。

例えば、竜巻認定の問題があります。明らかに渦を巻いた突風で深刻な被害が出ているのに、専門家が判断しないと竜巻と言ってはいけないような雰囲気があるようです。

一部には竜巻は上昇気流だが、他にもダウンバーストという下降気流の突風があり、どちらであるかは専門家でしか判断できないので、その場で素人が勝手に竜巻と言ってはいけないという説があるようです。

ですが、問題は風が上向きか下向きかではないのです。とにかく大変に危険であり、同様の災害は繰り返してはならないわけで、災害報道というのは、将来の危険を下げる、つまり危険度を広く知らせて、多くの人に「同様の自然現象が起きたら大変だから避難を早めに」という危機意識を高めるのが目的であると思います。

であるのなら、竜巻と感じた問題はどんどん竜巻と言ってしまって、もしも後で、全く違うことがわかったら訂正するようにすればいいのではないでしょうか? いつまでも正確さにこだわって、その結果として災害の直後における報じ方が「竜巻と思われる突風」などという「ぼかし」を入れるのではダメだと思います。災害の深刻度が伝わらないからです。

最近の雷雨では、雹(ヒョウ)が降ったという事例もありました。これも専門家が認定しないと雹だと言ってはいけない」らしく、「雹のような」と言った「ぼかし」を入れた報道になっていましたが、同じことです。「雹らしいです」「やっぱり雹でした」などという間抜けな報道では、農作物に大きな被害をもたらす雹の怖さは切迫して伝わらないのです。

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