新聞社側も役人に頼まれたくらいでは易々と社説には書かない。役人と新聞社のせめぎあいになる。ということを見越して、財務省の要望通りに社説を書いてもらうべく、各新聞社の論説委員と濃密な関係を結んでいる。財務省の審議会に、新聞社の論説委員を加えておくのが典型的な手である。とはいえ、審議会に入ってもらっただけでは、その人が財務省寄りの社説を書いてくれるとは限らない。
そこで官僚は若い頃から、新聞記者の有望な人と親交を深めておく。記者にリーク記事をあげて貸しを作ったりする。ギブ・アンド・テイク。書いてもらいたい記事があるときには頼み込む。その記者が偉くなって論説委員になったとき、社説に書いてくれるような人間関係になる。社説でなくても一面トップならOK。望むような記事を書かせるのが、財務省の役人の宿命のようなものだ。
そもそも「なかったこと」を証明することほど、難しいことはない。当事者がいくら「なかった」といっても何の説得力もない。「なかったこと」を証明するエビデンス(証拠)はない。「なかったこと」の証明は「悪魔の証明」である。証明や証拠は「あった」と主張している方にあり、「なかった」という方にはない。マスコミは、野党は、疑惑追及にはエビデンスを示さなければならない。
とるに足らない「もりかけ問題」をマスコミや野党が、これほど延々とやっていた動機はなにか。他に政権を攻める材料がなかったからだ。野党はどんな手を使っても安倍政権を叩き落とし、憲法改正を阻止したいという思いを強めているが、安定した経済運営に関しては政権を攻めようがない。新ネタがあれば「もりかけ問題」はすぐに収束していた。ネタ不足の結果が、お粗末で不毛な国会となったのだ。
著者は役人時代に、総理を悪く書きたいマスコミに、発言を切り取られ利用された反省から、最近はマスコミから取材を受けるときは、同じ内容のことをネットメディアに文章で載せるようにしている。きちんとした長いものを書いておけば、マスコミが勝手に切り取ったとしても「一部を切り取っただけ」と説明ができるわけだ。新聞に掲載された日にネットで公開している。財務省を批判する人の「危機管理」のお手本である。
編集長 柴田忠男
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