国内市場の8割近いシェアを持っていたNECのPCが駄目になった理由

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はてな匿名ダイアリーに投稿された「NECで何が起きているのか」なるエントリーが話題となっています。匿名サイトという特性上、どこまで真実が綴られているかについては諸々差し引いて考えなければならないという面はあるものの、「それなりに勉強になる」とするのは、世界的エンジニアの中島聡さん。中島さんはメルマガ『週刊 Life is beautiful』の中で、かつて自身が目の当たりにし呆れたというNECのビジネスの進め方を記すとともに、同社のパソコン事業をダメにした一因とも言われる「MicrosoftのOS採用」と中島さんとの意外な関わりを明かしています。

※ 本記事は有料メルマガ『週刊 Life is beautiful』2018年9月18日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール中島聡なかじまさとし
ブロガー/起業家/ソフトウェア・エンジニア、工学修士(早稲田大学)/MBA(ワシントン大学)。NTT通信研究所/マイクロソフト日本法人/マイクロソフト本社勤務後、ソフトウェアベンチャーUIEvolution Inc.を米国シアトルで起業。現在は neu.Pen LLCでiPhone/iPadアプリの開発。

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NECで何が起きているのか

はてなの匿名ダイアリーには、時々この手の記事が投稿されます。そもそも会社に不満を持っている人が書いているので、あえてネガティブに書いている面もあるとは思いますが、普段、外からはなかなか見えない会社内部の事情が見えてくるので、それなりに勉強になります。

ちなみに、私が最初に手にしたコンピュータ(TK-80)もNEC製だったし、大学の時に作ったCandyと言うパソコン用のCADソフトも、NECのPC-9800向けに作ったし、NECとは色々と縁があります。あの頃のNECは本当に輝いていました

i-modeで、NTT DoCoMoが世界の最先端を走っている2000年には、NECからi-modeケータイを世界に広めるためにシアトルに来ていた人と結構親しくなったのですが、会社全体がNTT DoCoMoから仕事が降ってくることに大きく依存している体質だったため、死に物狂いでシェアを取りにきているSamsungと比べると負けて当然と思ったことを良く覚えています。

さらに日本でi-modeケータイの設計をしていたエンジニアとも知り合いになったのですが、彼もこの手の企業に良くいるコードを書かない・書けないエンジニアな上に(コーディングは全て下請けに丸投げしていました)、仕事の話をしようと頼むとキャバクラ接待を要求してくるというどうしようもない奴でした。

AppleがiPadを発売した2010年には、NECのパソコン事業部の事業部長にタブレット戦略について相談されたことがあるのですが、私が「なぜタブレットを作りたいのか?」と尋ねると、「うちにはタブレットを作れるエンジニアたちがいるから」というどうしようもない答えが返ってくるので、これは絶対に失敗すると確信したことを覚えています。私が「そんな考えでタブレットを作っても売れない」と指摘すると、「うちは社内や関連企業に押し込むことが出来るから最低限のロットは捌ける」という答えが返ってきて、なんて気楽な考え方でビジネスをしているのだろうと呆れてしまったことを良く覚えています。

ちなみに、NECのパソコン事業がダメになってしまった一番の原因は、MicrosoftのOSを採用したことにありますが、その原因を作ったのが私だったという話を後から聞きました。私がアスキーのアルバイトとして書いたコード(CP/MをNECのパソコンで走らせるためのディスクドライバー)をNECが別の用途で使っていることをアスキーの担当者が発見し、それを理由にNECに(当時、アスキーが総代理店をしていた)Microsoftのソフトウェアをライセンスすることを強要したとのことです。

あの当時、NECのパソコンは日本市場の8割近くのシェアを持っていたため、NECがあのまま独自OS路線を突っ走っていればMicrosoftが日本で成功することは簡単ではなかっただろうと思います。

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