一般的に日本人は、デザインやアイデア手間技術など無形のものに価値を見出さない傾向があります。ですが、本当の価値と言うのはそういった部分にあるものですよね。今回の無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』では著者の真井花さんが、あるツイートを例にあげながら、無形の価値とされがちな家事の成果を、正当な評価に導くための可能性について考察しています。
隠れたるもの
さて、本日はモノの値段のお話。
私は高校生くらいのころ、ごく小さなの鉛筆削りが5,000円しており目玉が飛び出た記憶があります(^□^)。ダイヤル式で削る太さが選択でき、しかも革のケースがついていたので、まあ、高級品だったんですが。みなさんにもそんな経験があるんじゃないでしょうか。
モノの値段で高いか安いかは、何で判断されるんでしょうか。
一般的に言って、日本人は
- 無形のモノに価値を見出さない
傾向があります。五感を使って見たり触ったり食べたりできるモノにはお金を払うんですが、
- デザイン
- アイデア
- 手間
…こうした、モノを見えないところで作り上げている事柄について価値を見出せない…いや、これは言葉がキツすぎますね。あえて
- 評価するのがヘタ
と婉曲表現を使っておきましょう(^□^)。いや、婉曲なだけですが。
…これ、何かに似ていませんか。そう、
- 家事
です。日本の実態は、ほぼ成人女性1人が家事を行い、その状態を家事「負担」というネガティブな言葉で語られるのも、ココに理由があるんじゃないかと思っています。
すなわち、家事の成果、たとえば
- キレイになったリビング
- いつでもちゃんとペーパーのあるトイレ
- たたまれて収納されている清潔なタオル
などは、その収納のアイデアや掃除の手間は、目に見えません。そのせいで家族にはその価値が分かりにくく、勢い労りも感謝もなくなってしまうんです。それだけではなく、やっている本人さえ自分の行為をどこか価値の低いものと見做してしまうことがあるようです。
と、ここまで書いて、少し前にTwitterで話題になっていたものを思い出しました。それは
- ハンドメイド品の値段が高すぎる!
というツイート。ご存じの方、いらっしゃいますか?