要はこれを裏返せば、子どもが劇的に育つ方法になる。
つまり、心配しすぎないこと。教えたら、とりあえずさせてみて、失敗しても励ます。信頼して、だんだんと任せていく。愛情をもって見守ってはいるけれど、基本的に口出し、手出しを控えて我慢する。
強く育っている子どもの親や学級担任は、大抵これをやっているようである。だから、子どもが自信に満ち溢れている。少しぐらい失敗しても叱られても、へこたれない強い子どもになっている。
書いていて気付いたが、これは山本五十六の有名な言葉と全く同じである。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
今回は子育ての話だが、上司と部下というような関係にもほぼ完全に当てはまる。自分を信頼してくれる上司のもとでしか、人は育たない。いつも心配ばかりされて、厳しいチェックと指示、叱責ばかりの上司についていきたい人はいない(しかし部下の立場でこれに甘えるのは間違っている。大人なら、自分がしっかりする方が先である)。
子どもを「所有物」「私物」化しているから、心配性になる。子どもは一人の自立した人格なのである。親のものではないし、ましてたかだか一学級担任のものであるはずがない。
要は、いちいち細かすぎなのである。他者にそんな関心をもつ暇があるなら、自分の心配をしなさいということである。心配性の人が一番心配である。
愛しているなら、心配しすぎない。愛しているなら、信頼して任せる。
子育て、人材育成の肝である。
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