一方、ランキングの対象となった実践女子大学は、「このような女性蔑視につながる内容を掲載されたことについて呆れるとともに、本学及び本学学生の名誉と尊厳が傷つけられたことは、大変遺憾」と扶桑社に「厳重抗議」すべく検討していると報じられました。大妻女子大学やフェリス女学院大学も「抗議を検討中」としています。
…なんとも。これだけセクハラが問題になっているご時世で、具体的な大学名を挙げているのは「感度が鈍すぎる」としか言いようがありません。「訴求したいがために扇情的な表現」というコメントの背景には雑誌の売り上げの減少傾向が続いている現状があるのでしょうが、それでもやはり、ランキングはいただけません。
で、思うわけです。だんだんと言葉も発想も単純化しているな、と。以前、言語学者の金田一秀穂先生と対談したときに、「ここ20年で、難しいことをわかりやすく伝えるのが当たり前、という風潮が定着した」と嘆いていました。「複雑なものを複雑なまま、あいまいなものをあいまいなままにしておくのも時には必要なのに、それを我慢できない人が増えている」と。
言葉を紡ぐことは考えることなので、言葉が単純化されれば思考も表面的になります。「ヤレる」とか、「ランキング」はまさにそれ。ひと昔前であれば「くどく」という言葉が使われていたし、なんでもかんでもランキングする傾向もSNSの発達と連動し広がってきました。「人」に関わる問題は全て複雑です。だけれども、今の時代は「複雑」すぎる。そこで、単純な「解」を見つけ出し「私だけは知っている」と思うことが、人々に倒錯した優越感をもたらしているのではないでしょうか。
とどのつまり「炎上」も、ものごとの「良い」「悪い」を乱暴に言い切るのがなにか良いことように思われているという節が垣間見え、「正義」とか「人権」といった美しい言葉が、ものごとの複雑性を攻撃に変換している。そう思えてなりません。みなさまのご意見、お聞かせください。
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