「虐待死」はもうたくさん。児相に人質救出と同じ法理の執行権を

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頻発する子供の虐待死事件に「もうたくさん」と憤るメルマガ『8人ばなし』の著者・山崎勝義さんが、「何もやっていない」、「何もできない」児童相談所をいかに改革すべきかを論じます。山崎さんは、「子供の命が一番」という優先順位に基づき執行できる権能を児相に与えることが何よりも大切で、そこには人質救出と同じ法理が必要だと強調しています。

児童相談所のこと

理不尽としか言いようのないような、子供の痛ましい死亡事件が報道されるたびに「児童相談所は一体何をしていたのか」といった議論が巻き起こる。

これについては結論は簡単だ。児童に人死が出ている以上、何もやっていないも同然であり、その結果の重大さを考えると「同然」などといった婉曲表現は通用する筈もないから、やはり何もやっていないと言う他ないのである。

もうたくさんである。そこそこの役職の人が会議用テーブルの前でいくら頭を下げたとて失われた命は戻らない。この組織には大鉈を振るう必要がある。

まず、地方に任せるのではなく中央集権的組織に再編すべきである。というのも、ひとたび問題が明るみに出た家庭は当該児相の追及の手を逃れるために管轄区域を越境して引っ越したりすることがあるからだ。こういった問題に対処するのには情報の共有は欠かせない。たった一つ後手に回っただけで文字通り命取りとなる恐れがあるからだ。

また、中央組織化することで職員の質の向上、少なくとも質の均質化を図ることはできる。誤解を恐れずに敢えて言うが、地方の児相の職員は悲惨なほどレベルが低い。何しろ、そこに配属されただけの事務系地方公務員だったりするのである。子供にも、教育にも何の関心もない人がその職に従事しているのである。その意味ではレベルというよりリテラシーが低いと言うべきなのかもしれない。

ただ一言加えておくが、資格や肩書さえ立派ならいいというものでは当然ない。この辺りのところは専門家を置くことが何より重要といった論調とは多少ずれる。名刺にある資格や肩書は立派でも、ただそれだけで何の役にも立たない人も結構多いからだ。

それに専門家というものは専門的知識があるために場合によっては逆に始末に負えない存在にもなり得る。「そのことに関しましては私の専門外でして…」などと言われたらたまらない。資格によって与えられる権能は自分を守るためではなく、児童を守るためのものであることをまず肝に銘じて任に当たってほしいものである。

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