1598年、醍醐の花見が行われる前に秀吉は畿内四ヶ国から桜の成木700本を醍醐寺に運び植えさせたといいます。ド派手なことが好きだった秀吉らしい豪華な演出です。しかし醍醐の花見が行われた数ヶ月後、不死身を望んだ伏見の地で63歳の人生に幕を降ろします。
つゆとおち つゆときへにし わがみかな なにわのことも ゆめのまたゆめ
天下人になってもなおも果たそうとしていたことを残していたことがうかがわれます。貧しい農家の出身から天下統一を成し遂げた秀吉は伏見区にある醍醐寺の桜の花と共に散りました。
京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。
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