京都に巡る桜の季節。春を感じに、秀吉ゆかりの醍醐寺と三宝院へ

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豊臣秀吉の生涯でも、北野大茶湯と並ぶ一大イベントとして知られる「醍醐の花見」。秀吉は花見のために畿内四ヶ国から桜の成木700本を植え替えさせ、念入りに庭園を作らせました。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では著者の英 学(はなぶさ がく)さんが、その大イベントの舞台となった醍醐寺と三宝院の魅力を、秀吉最晩年のエピソードと共にドラマチックに紹介しています。

 

醍醐寺と三宝院

3月の終わり頃になると多くの見物客で賑わう桜の名所・醍醐寺と境内に建つ三宝院をご紹介します。

三宝院は平安末期1115年、醍醐寺14世座主勝覚が創建した建物で、現在は醍醐寺と共に世界遺産に登録されています。庭園は戦国時代の1597年、豊臣秀吉が醍醐の花見に際し庭奉行武田梅松軒に命じて作庭させたものです。秀吉が花見のために念入りに作った庭です。回遊式庭園でありながら建物の中から鑑賞する設計となっています。

醍醐寺は平安時代初期874年、聖宝が開いた古刹で上醍醐と下醍醐の上下二段に伽藍が分かれています。醍醐山という一つの小さな山全てが境内になっていて、上醍醐の建物を見学するためには山道をひたすら登ることになります。

上醍醐には五大堂、如意輪堂、薬師堂、清滝宮などが立ち国宝に指定されています。

三宝院は下醍醐にあるので平らな場所にあります。

下醍醐には金堂、大講堂、五重塔、表書院、宸殿、護摩堂、唐門などが立ち並んでいます。そのほとんどは醍醐の花見に際して秀吉が建立したものと伝えられています。ただし、五重塔は平安時代951年創建です。京都市内の五重塔の中で最古のもので京都市内に残る建造物の中でも最古のものです。

醍醐寺の名称は、開山した聖宝が上醍醐の湧き水を飲み醍醐味と絶賛したことから命名されました。醍醐味とは仏教の言葉で牛や羊の乳から精製する液体のことをいいます。また、教えの深く尊いこと奥深いもの全般に用いられる言葉のようです。

三宝院を造営した秀吉は、天下人となると1592年、京都に伏見城の前身である伏見屋敷を造営しました。伏見に築城した理由は伏見が不死身につながるためとのこと。

伏見は平安時代の昔から不老不死を願う場所として知られていました。藤原頼通の息子・橘俊綱も伏見に別荘を建てています。

伏見屋敷造営の前年、秀吉は長男の鶴松、自身の片腕だった弟の秀長、茶道指南の千利休、母・大政所と身内が次々と亡くなりました。この時期、秀吉はその憂さを晴らすかのごとく朝鮮出兵をしています。

身内の度重なる死は秀吉を死への不安へ追い詰めたと考えられています。秀吉の死への不安が伏見屋敷を伏見城にまで拡大したことや、三宝院の庭造りに没頭させたと考えられているようです。

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