もっとも、失敗すればその影響は関西電力一社に止まらない。事業に参加する日本の名だたる建設会社が総崩れとなる。太田垣にとっては絶対に負けられない戦いであった。ゆえに彼は、松永安左エ門の力も得ながら電力料金の値上げに踏み切って内部留保を充実させ、経費節減を重ねてバランスシートを改善し、外資導入というダイナミックな資金調達にも取り組み、最終的に512億円にも上った総工費を賄い得る財務構築に邁進した。
なおかつ黒四に先駆けて手掛けた別のダムの建設を通じて周到に技術の蓄積も図っていた。
一見無謀でありながら、太田垣の中では勝てる確信をもって臨んだ戦いであり、そうした先見性に満ちた手腕こそは小林一三のもとで培われたものであった。
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