保護者と長年面談をしていて、気付くことがある。どうも、読書というと小難しい文学作品を読ませたがる。本人の苦手な運動をさせたがり、スポーツの得意な○○さんみたいにさせたがる。漫画もゲームも「ダメ」なものの部類。(またはスマホノベル等にも否定的。)勉強ができれば安心、やがて「いい大学」「いい職場」にいけば安心と思っている。友達のグループに入っていれば安心と思っている。とにかく、自分の人生を基盤にした既成概念に凝り固まってしまうのである(教師も同様である)。
例えば大人から見たらゴミにしか見えないものも、子どもにとっては宝物である。拾った「きれいな」石、形の変わった石が机の引き出しに溢れているのも、ある意味健全である。それよりも、それを隠さないといけない状況を打破すべきである。
「隠す」ということは、それを周りが駄目とみなしている、そう認識しているからである。周りが「それもいいね」と言ってくれれば、安心して自分らしくいられるのである。
子どもの興味のあることを、否定しない。大人の「善」「こうあるべき」を押し付けない。
これなくして、勉強が好きという子どもは育たないと考える次第である。
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