幸せでない大人に育てられた子がいつまでも子供でいたいと思う訳

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子供の幸せを願わない親はいないでしょう。しかし、そのことばかりを考えて自分についてはおろそかになっていませんか?今回のメルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役教師の松尾英明さんが、自分自身の幸せや成長をないがしろにしない、「自己中心的利他」の大切さを説いています。

自己中心的利他を考える

子どもの健やかな成長を願う、という方向に異論のある人はいない。今回は目先を変えて、大人である自分自身の健やかな成長を願っているか、ということについて考える。

面白い言葉を知った。「自己中心的利他」という。ネットで調べると、書籍でも書かれているようである(なので、誰が最初に言い出した言葉かはよくわからない)。

平たく言うと、自分がやりたいことをして周りの人に喜んでもらうということ相手のためというより単に自分がやりたくてやっている、という状態である。

ただし、押しつけがましさはなし。やって「あげてる」感もなし。自然な、いわゆる「win-winの関係である。

子どもに幸せになって欲しいと願う。親でも教師でも、子どもに関わる誰もが願うことである。子どもに成長して欲しいと願う。やがて立派な大人になって欲しいと願う。

ところで、そう願う大人自身は幸せか。子どもは、言葉ではなく、背中を見て育つ。幸せそうに生きている、働いている大人を見て、「大人って楽しそう!」と憧れをもつ。

教え子にも我が子にも大人はいいよ~と語っているか。なぜなら、子どもの側は思考は自由だが、行動範囲は不自由極まりない。親をはじめとした周りの大人の様々な状況にそのほとんどを規定されるのである。

大人は自分の自由に生きられる。そんなことないと言われれても、そうである。行動範囲や意思決定、お金の使い方の裁量の広さも、子どもとは全く違う。

それでも「不自由」だというなら、現状に対抗することもできる。現状に甘んじて我慢するというのも、一つの選択である。現状を打破すべく敢えて困難を選ぶというのも選択である。

やりたい仕事も自分で選べるし、一見不自由だと思っていることもどれも選択の結果である。子どもにも、それを示したい。大人である自分が自由に生きていることを示さない限り子どもは子どものままでいたいと思うに違いない。

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