あえて今遡る。昭和の年金の話を聞けば、なぜ年金が必要かわかる

 

お金の話に事欠かなかった田中角栄内閣の時に、昭和48年改正の時にこの現役時代に対して、年金額はおおむね60%以上の確保を目指すというものに変わっていきました。物価にも対応するように物価スライドを導入して、物価が上がった年の翌年の年金を物価上昇分引き上げるという事も決まった。あと、同じ年に70歳以上の老人医療費を無料とする事も導入されたましたが、後に無料化の弊害が強くなって財政を圧迫させる事になる。

この現役時代の60%以上は確保するように、その年金に見合うために保険料をいくら徴収するかという考えだった。ただ、昭和45年からすでに高齢化は始まっていて(当時65歳以上人口7%)、昭和50年からは合計特殊出生率2.0を割り始めて少子化も本格化してきた。なお、昭和45年時点ではまだ年金給付費は1兆円もいかない9,000億円程だった。

昭和40年代に上げすぎた年金がこれからは少子高齢化の進行とともに耐え切れなくなるのではないかと懸念され始め、昭和50年代になるとこの引き上げ過ぎた年金を抑制の方向に変わり始めた。

共済年金と厚生年金の給付格差も大きかったのでその格差の解消も問題となった。格差は例えば、厚生年金は60歳支給だけど共済は55歳支給というようにですね。厚生年金は過去の若い頃からすべての給与の平均を取りますが、共済は退職前1年のすっごく高い年齢の時の平均給与を使うから給付格差がありました。

そして老齢の年金が昭和40年には20万人ほどだったのが、昭和50年になると100万人になり、昭和55年には200万人になり、昭和60年には330万人と徐々に受給者数のペースが上がってきた。年金給付費も昭和55年には10年前の9,000億円から10兆円に跳ね上がっていた。この時の65歳以上の高齢化率は9%。

昭和50年代は年金給付が本格化し始めた頃でもあり、年金を引き上げる方向から一転して増税はせずに徹底的な無駄の削減が課題となった。増税なき財政再建という言葉が叫ばれるようになった。

昭和10年頃の戦前は平均寿命がまだ男女とも50歳前後でしたが、厚生年金の大改正が行われた昭和29年には平均寿命が男62歳、女67歳ほど上がっていました。しかし昭和55年には男73歳と女78歳と昭和29年から10年ほども伸びていた

また、平均余命(その年齢からいつまで生きるか?というもの)は平成2(昭和に直すと65)年になると60歳の人であれば、男女とも20年を超えてきた。つまり平均余命であれば80歳以上は生きるであろうという事。少子高齢化と年金給付が本格化し始めてきたのであります。

よって昭和55年からは昭和29年に60歳支給開始年齢であるとした厚生年金を20年かけて65歳に引き上げるように法改正をしたかったのでありますが、昭和50年代はまだ定年が55歳という企業がほとんどであり、労働組合が強く反発して自民党も反対し、実現できなかったのであります。

支給開始年齢引き上げは叶わなかったですが、昭和60年の年金大改正により年金の給付水準を大幅に引き下げました(昭和60年改正は有料メルマガで書いてきたので詳細は割愛します)。

なぜ大幅な引き下げに踏み切ったかというと理由は、加入年数が増えればその分年金が増えてしまう構造になっており、現役時代の60%以上を確保するどころか80%を超えてしまうような状況が心配された。80%も給付したら過剰給付になってしまうのです。現役世代の負担の力を超えてしまう。

それまでの厚生年金はおおむね30年加入を想定されていましたが、時代の変化と共に自営業から会社に雇用されるという人が急激に増えて(雇用者は昭和30年は850万人、昭和40年は1.800万人、昭和50年は2,400万人、昭和60年は2,700万人)、更に40年加入というのが普通になってくるだろうと。

30年加入だと60%あたりになりますが、40年加入だと現役時代の80%とかそういう過剰給付の状態になる仕組みになっていた。

当時の平均給与にてモデルとされた年金額があります。

当時の平均給与が254,000円でした。そして厚生年金(報酬比例部分)の乗率が1,000分の10だったんですよ。

  • 254,000円×10÷1,000×30年=76,200円→76,200円は254,000円に対して3割
  • 254,000円×10÷1,000×40年=101,600円→101,600円は254,000円に対して4割

そして、国民年金(基礎年金)の前身である定額部分(加給年金込みで)も報酬比例部分の比率と概ね同じ給付をする設計になっていたから、計算式の前者は60%で後者は80%となる。こうなると80%以上もの給付をしたら、現役世代から徴収する保険料が莫大になってしまいますよね^^;

昭和60年改正が行われる前は、将来は厚生年金保険料は最高で38.8%支払ってもらわないといけない見込みになってしまった。だから、1,000分の10を1,000分の7.5に引き下げる事によって、38.8%を28.9%まで下げる事ができた。

なぜ10から7.5かというと、給付を4分の3にするため。

  • 30年÷40年=0.75

30年を40年の給付とイコールにするためには0.75にするという事ですね。国民年金保険料もピークの19,500円から13,000円まで下げる事ができる見通しとなった。

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