そして、この話は障がい者と社会や地域の付き合い方の手本として語られることも多い。いつもにこにこしている天真爛漫の障がい者を受け入れるか、排除するかで、商売が繁盛するしないの話とは、障がい者に対しての姿勢が問われている、と解釈できるだろう。
特に一般消費者を相手にする商店では、どんな人も分け隔てなく接することが、社会におけるその店の価値を高めるもので、商売という結果に結びつくという話である。これは現在の障がい者雇用をめぐる企業や、障がい者に対する社会の需要の問題に結びついていく。
障がい者雇用を生産性の論理に組み入れようとしてうまくいかない企業や障がい者関連の施設が出来ることに反対する地域コミュニティが存在する日本社会の中で、仙台四郎のほほえみは何かを語りかけてくれるような気がしてならない。つまり、仙台四郎への視座は、障がい者をめぐる社会モデルの形成、ノーマライゼーション社会の実現に向けての示唆を含んでいるのである。
仙台四郎の存在を知り、彼のほほえみの意味を深く考えられるようになってからの私は高校を卒業し、実家を離れたが、帰省の度にお菓子屋のおばさんのところには顔を出し、世間話をしていた。仙台四郎は相変わらず店に鎮座していたが、そのおばさんは私が社会人になった頃から認知症となり、商売をやめた。
それでも、自分の体の分だけは店のシャッターを開け、ひたすらにこにことした笑顔で通りの人を眺めていた。私が年に一度帰省すると、にこにことあいさつし「元気だった?」「元気だよ」と言葉を交わすのだが、私が誰なのかはだんだんと分からなくなったかもしれない。しかし一点の曇りのない笑顔は絶やさなかった。
それは誰に対しても同じで、近所に聞くと、いつもにこにこ、店先にいて目があえばあいさつをするのだという。それは、私なりの解釈で、おばさんは仙台四郎になったのだと気付いた。おばさんは没し、お菓子屋は最近になって取り壊され、その場所は仙台市の駐輪場になった。しかし、今も私の中で「福の神」の笑顔は消えないままでいる。
image by: ChampagneFight [CC BY-SA 4.0], ウィキメディア・コモンズ経由で