69歩からは一緒に手を繋いで
あの事件の最中、現場にいたのはほとんど子供たちばかりだったために、事件の詳細はなかなか明らかになりませんでした。我が子がどこで倒れたのかも分からず、もどかしさを募らせる私たち遺族は、学校や警察の協力を仰ぎながら毎晩のように報告会を開き、事実を解明していきました。
その結果、体に負った傷の深さから間違いなく即死だと思われていた優希が、最後の力を振り絞って廊下を歩いていたことが分かったのです。
それを知った時のショックは、とても言葉では言い表せません。誰も助けの来ない場所でたった一人、途轍もない苦痛と恐怖と絶望の中で最期を迎えた娘の心中を思うと、身悶えするほど胸が痛みました。
その廊下には、優希の流した血が黒く変色し、大きな血だまりとなって染みついていました。主人と一緒に頬ずりをし、手で擦り続けるうち、その床板が優希そのもののように思えてきました。
襲われた場所から教室を出て、倒れた場所まで血痕を辿ると、私の歩幅で68歩。事件当初からずっと私たちの気持ちに寄り添ってくださっていた刑事さんも、「あれほどの深手を負いながらここまで歩くとは、何という生命力でしょう」と驚かれていました。
以来その廊下は、私たちにとってかけがえのない聖域になりました。事件から守ることはできなかったけれど、優希が頑張ったこの廊下だけは何としても守りたい。先生方にお願いして周囲を机で囲み、私たちは何度も何度もその廊下に通いました。優希が最後にどんな思いでそこを歩いたのか。何でもいいから知りたい、何かを感じ取りたい。そう願ったのです。
最初は苦しむ優希の顔しか浮かびませんでした。けれどもその68歩を辿り続けてひと月経った頃、笑顔で走って来る優希が見えてきたのです。
「よく頑張ったね、優希……」
胸に飛び込んできた小さな体を、私は思い切り抱き締めました。
実は廊下に通い始めた頃、私はそこで命を絶とうと思っていました。「優希、お母さんは苦しくて、苦しくて、とても生きていられないわ」と心の中で訴えかけ、優希と同じように傷を負って、同じように歩いて、ここで死にたいと密かに思っていたのです。
優希はそんな弱い母親に、「お母さん、命ってこんなに素晴らしいものなのよ。だから与えられた命を精いっぱい生きてね」とメッセージをくれたのです。真っ暗な私の心に、ふっと光の点る思いがしました。
それまでは優希を殺めた犯人を、心の底から憎んでいました。極刑を求めて署名運動もしました。私はほとんど人を憎んだことのない人間でしたが、そこで自分の心は崩れてしまった、もう元の心は取り戻せないんだと思うと、そういう自分が嫌で仕方がありませんでした。
でもその光に出会って、それって変えられるよねと思うことができたのです。憎しみや悲しみからは何も生まれないし、自分をどんどん苦しみに追いやってしまうだけ。そういう破壊的な思いを生み出しているのは自分の心なのだから、生きる力とか希望といった建設的な思いにも変えることができるかもしれない。
私が誰かを恨んだり憎んだりしていて、優希の魂が救われるはずはありません。私が鬼のような顔をしていたら、心の中の娘も鬼のような顔をするし、泣いていたら娘も泣いている。そうだ、私が笑顔になれば優希も笑顔になるし、私が癒やされることで、優希も癒やされるのだと気づいたのです。
辛い、辛い68歩だけれど、そこから学んだことを何かに繋げられるかもしれない。学んだことを伝えていくことで、失われた命を未来に繋ぐことができるかもしれない。68歩までは優希が一人で頑張った。69歩からは私も一緒に手を繋いで歩かせてください。そう神様にお願いして、私は再び生きていこうと心に決めたのです。
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