日本中の子供たちの「知」を支えたカバヤ文庫が終焉を迎えた理由

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終戦から7年、1952年の日本。復興は進み、徐々に生活も安定してきましたが、子供たちには決定的に足りないものがありました。本です。そんな「物語」に飢えた子どもたちにむけて、カバヤ食品が画期的な販売戦略を打ちました。今回の無料メルマガ『郷愁の食物誌』では著者のUNCLE TELLさんが、幼い頃夢中になったキャラメルのおまけ、「カバヤ文庫」の思い出を記しています。

フラフープブーム、そしてカバヤキャラメル・カバヤ文庫

1958(昭和33)年の秋、日本列島を席巻したフラフープの大ブームはわずか2ケ月もたたないうちに収束したのだが、今やシニアに、いやおじいさんおばあさんになった少年少女や当時の大人たちにも強烈な印象を残した。当時の人で恐らく覚えていない人はいないだろう。それから4、5年ほど前のことなのだが、「カバヤ文庫」の忘れられないたブームがあった。あたりにはは戦後色がまだ残っていた。

確か、ラジオで少年向けの「笛吹童子」やら「紅孔雀」、放送がある時間帯は銭湯がガラスキになったという「君の名は」が流れていた時代である。森永、明治とキャラメルは当時のこどもたちにとりわけ人気のあったおやつ。カバヤキャラメル、森永、明治に比べておいしいというわけでもなく、地方は岡山のメーカーでいわばマイナーな製菓会社の商品。キャラメルの包みも幾分小さかったような気もするが、少年少女たちの心を捉えた戦略があった。

10円のカバヤキャラメルを一箱買うと中には文庫券なるものがが一枚入っていた。その文庫券50点でカバヤ文庫一冊がもらえる仕組み。点数もいろいろでラッキーカードはなんと大当たりの50点、それだけで一冊と交換OK。そのほかにもボーナス点数の券があったような気もするがさだかではない。ボーナス券が入っていて大喜びした記憶もあるが、普段は、こつこつと一個10円のキャラメルを買って点数を集め、お目当ての「カバヤ文庫」の本に交換した。こどもたちを夢中にさせブームになっていたのである。私の書棚にも何冊か。

カバヤ文庫は、岡山県に本社工場を置くカバヤ食品のキャラメルのおまけだったわけである。「カバヤ文庫」の第1巻第1号「シンデレラひめ」が出たのは、1952(昭和27)年8月。以後週刊のペースで発行を続け、総発行部数2万5,000冊になった1954(昭和29)年に発行が中止になってしまったという。好評だった「カバヤ文庫」に「漫画文庫」を新たに加えたことが、大人たちの反感を買いそれがあわただしく終焉を迎えてしまうことになった大きな理由だとか。

私の記憶では、「カバヤ文庫」は製本・装丁も粗末なB5版くらい、厚さ1センチほど、世界の著名な物語のダイジェスト版の本だったが、そういうものに飢えていたこどもたちは飛びついた。自分の住んでいた家の近くにカバヤ文庫も集めた貸本屋があったことも思い出す。学校によっては図書室にPTAから寄贈された「カバヤ文庫」が揃っていたところも。

当時のこどもだったわたしたちの「カバヤ文庫」は、ほんの2年で幕を閉じてしまったが、文庫と過ごしたわくわくした興奮は半世紀以上たった今でも忘れることはない。カバのカタチをした宣伝カーの思い出とともに。なお、「カバヤ文庫」のカバヤ食品会社は、今も岡山に健在である。ホームページによれば、2006年に“カバ車”も復刻されたとか。

また同ホームページには、岡山県立図書館との共同作業によりカバヤ児童文庫全編がデジタル化されこと、岡山県立図書館のホームページで公開されていること、インターネットを通じて誰で見閲覧できることが紹介されている。

image by: カバヤ食品株式会社

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団塊の世代以上には懐かしい郷愁の食べものたちをこよなく愛おしむエッセイです。それは祭りや縁日のアセチレン灯の下で食べた綿飴・イカ焼き・ラムネ、学校給食や帰りの駄菓子屋で食べたクジ菓子などなど。

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【著者】 UNCLE TELL 【発行周期】 月刊

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