仏御前
さて、清盛が祇王よりも魅力的に感じた仏御前はどんな女性だったのでしょう?仏御前は加賀出身で歌と舞に優れた絶世の美少女だったようです。14才の時に上京して白拍子になったとされていて、清盛の寵愛を祇王から奪ったのは16歳の時。その時清盛はすでに還暦近いおじさん。当時ならかなり高齢なおじいさんといった感じだったでしょう(一般的に祇王寺を悲恋の寺などというのですが、清盛が若い白拍子を寵愛したのは分かります。しかし白拍子達が還暦近いおじいさんに恋をしたとは思えないのは私だけでしょうか?)。
仏御前は同じ白拍子でありながら、追い出す形になった祇王と自分を重ね合わせていたようです。いつか自分も祇王のように清盛の寵愛を失い都を追われるように去るのを悟っていました。仏御前が清盛の館を後にした時、祇王の家族がいる(後の)祇王寺を訪れ、自らも髪を剃り出家したのは17歳の時だったそうです。
同じ経験をして一番気持ちがわかる人の元を訪れたのでしょう。清盛の寵愛を受けた者同士が尼寺で過ごすようになります。
しかし祇王寺には祇王、祇女とその母・刀自のお墓しかありません。仏御前のお墓はありません。実は仏御前は祇王の元に身を寄せた数ヶ月後、身ごもっていることが分かったといいます。尼寺で子供を産むことは出来ないので、故郷を目指しました。悲しいことにその子供は生まれる前に亡くなってしまい、仏御前も故郷で21歳で亡くなったそうです。なんか悲しい話ですね~。
祇王が清盛の寵愛を受けていた期間は3年間、仏御前は半年ほどという短い期間です。栄華を誇った平家は清盛が熱病で亡くなった4年後、壇ノ浦の源平合戦で敗れ滅亡しました。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。驕れるものも久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
平家物語の有名な冒頭部分ですが、清盛も祇王も仏御前も皆、風の前の塵に同じです。仏教の世界観である無常(=常ならず)がよく表れています。
いつか平家物語、清盛、祇王、仏御前、後白河院のことを思い浮かべながら祇王寺を訪れてみて下さい。
奥深い京都をまたご案内しますね。
● 今回の動画
【聞いて学べる京都セミナー】(7)「祇王寺」白拍子と平清盛の物語
image by: 京都フリー写真素材集