3.外交・安保政策的次元:東アジアの安保対話の新枠組みを
日韓中を中心軸として21世紀ユーラシアの大繁栄にリンクしていくのが日本の生存戦略であるとすると、その戦略空間を確保し強化していくことが外交・安全保障の目標でなければならない。
第1に、そのための大前提として、「日米同盟主軸」という20世紀の常識を捨て去る必要がある。日米同盟とは、NATOと同様に冷戦時代を彩った「敵対的軍事同盟」の一種で、予め措定されたソ連はじめ共産陣営という仮想敵に対して味方が結束して戦うという想定の下に形作られていたもので、本当ならば冷戦終了と共に解除されるべきものであった。ところが、そうしない方がいいと思う人たちが内外にたくさんいて、「いや、旧ソ連はなくなったが中国は恐いぞ、北朝鮮は何をするか分からんぞ」と──それを私は「脅威の横滑り」マジックと言ってきたが──脅威の量も質も一切無視してただ恐怖を煽り立てるということが続いてきた。しかし、《図1》が示すように米国はもはや世界の盟主でも何でもない。それに付き従っていくことは、日本にとってもアジアにとっても破滅の道でしかない。
第2に、だからといって中国を盟主とした日中同盟に身を寄せるべきなのかと言えばそんなことはない。本当のところ、米国の衰退と共に15世紀以来の「覇権」の時代そのものが終わり、世界は誰が盟主でもない「多極化」時代に突入するのである。その理由は簡単で、西欧資本主義の勃興以来、彼らの中心テーマは辺境フロンティアの暴力的な争奪であり、そのような物理的なフロンティアがもはや存在しなくなった今日、覇権ということ自体が意味を失うからである(水野和夫「資本主義の終焉」論)。マスコミが米中の貿易摩擦や技術競合を簡単に「覇権争い」と呼ぶのは過去の常識に囚われた惰性にすぎない。
そこで第3に、この地域に存在するすべての国・地域がラウンドテーブル方式で一堂に会して予め紛争を予防することを主眼とした「地域的な普遍的安全保障体制」という究極のテーマが浮上する。安全は予め誰かを仮想敵と名指してそれに対して味方同士が結束して備えることで確保されるのではなくて、その仮想敵とされかねない国・地域を含めて敵味方のないフラットな恒常的な対話の場を維持することが大事であるという「多国間主義」の安保思想に立つのかというという選択である。そのため、
- 日韓中は露とも力を合わせて、ふらつきやすい米朝の対話を軌道に乗せて朝鮮半島の平和と非核化を達成する環境づくりに務め、さらにそれを北東アジアの安保対話の新枠組みへと発展させていく
- さらにこれARFを通じてASEANとブリッジさせ、東南と北東の複眼を持つ「東アジア安保共同体」へと発展させていく展望を持つ
- その中で、尖閣問題、台湾海峡と南シナ海をめぐる中国と日米ASEANの確執などの冷戦後遺症が軍事紛争に至らずに解決できる道筋を追求する
──ことが必要となる。
参考までに、故ズビグネフ・ブレジンスキーの「ポスト覇権」論の要点を付け加える〔2013年2月13日付ニューヨークタイムズ〕。
今日、多くの人々は、出現しつつある米中2極が紛争に突き進んでいくのは不可避だと恐れている。しかし、私は、この「ポスト覇権時代」にあっては、世界支配のための戦争が本当に起きるとは思っていない。
近年、米中の友好的な関係が、とりわけ両国のマスメディアによる敵対的な論争によって試練に晒されていることは無視できないし、そのような風潮はまたアメリカの不可避的な衰退と中国の急激な台頭についての憶測によって煽られてきた。
しかし、安定した米中関係にとっての現実的な脅威は、両国の敵対的な意図から生じるのではない。むしろ、北朝鮮と韓国、中国と日本、中国とインド、インドとパキスタンなど、アジア諸国の政府がナショナリスティックな激情を煽動したり許容したりすることによって[地域紛争が]コントロール不能に陥ることこそ危険なのである。
それに効果的に対処するには、米国の建設的かつ戦略的に微妙なアジアとの関わりが必要で、そのためには既存の日本及び韓国との同盟にのみ頼るのではなく、米中の協力体制を構築する必要がある。
それゆえにまた米中は、経済的な競争関係を政治的対立に転化させないようにすべきである。例えば、米国は中国抜きのTPPを追求すべきではないし、中国は米国抜きの地域経済協定を追求すべきでない。
もし米国が、警察官を演じるためではなく、地域の安定装置としてアジアに存在を保ち、また中国が、暴君的ではなく、卓越した地域パワーとなるのであれば、20世紀のような不幸な紛争を繰り返すことを回避できるだろう……。
見るとおり、米民主党系の外交政策エスタブリッシュメントの頂点にあったブレジンスキーによると、米中覇権争いなどありえない。なぜなら、理由は簡単、今はすでに「ポスト覇権時代」だからである。その時代にあっては「アジア諸国の政府がナショナリスティックな激情を煽動」することこそ危険で、その意味で安倍晋三首相は危険分子の1人である。
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