「良い子にしていればプレゼントがもらえる」といったように、子どもを教育するにあたり必要以上に「アメとムチ」を使ってはいないでしょうか。努力した結果のご褒美というのは間違いではありませんが、親の都合でがんばる方向を曲げてしまうのは、正しいこととは言えないような気もするのが正直なところですよね。今回の無料メルマガ『子どもが育つ“父親術”』では、サンタさんからのプレゼントを例に取り、「良い子」の定義について考察しています。
良い子にはプレゼントが
先日、サッカースクールの練習で体育館に行った時のこと。入口で靴を脱いだらすぐ、奥に向かって駆け出していく4~5歳くらいの子どもがいました。続けて聞こえてきたのは、ママの声。
「ちょっと待ちなさい!ママの言うこと聞かないと、サンタさんに電話するよ!」
この季節ならではの表現ですね(苦笑)。案外、言ってしまいがちなフレーズかもしれません。
こういった言い方について、単純に「プレゼントを人質に取って脅迫するのはいけない」という観点もありますが、今日は少し違った観点でお届けします。
このような言い方には、その前提として「良い子にしていれば、プレゼントがもらえる」という親子の共通理解があります。ですが、そこに2つの疑問を感じるのです。
まず1つ目の疑問は、“良い子”って、どんな子?──です。体育館のこの場面では、非常に明確です。「ママの言うことを聞いて止まるのが、良い子」とのイメージがハッキリしていますよね。このように、日常の暮らしの中では、
- ママの言うことを聞く(言いなりになる)
- 勝手にママのそばから離れない
こういう状態でいてくれると、子どもの安全が確保しやすく、親としては助かります(端的に言うと、すごくラクです)。でもそれは、あくまで「安全が確保しやすい」だけの状態です。その子が“良い子”かどうかには、本来関係はありません。本当の意味での“良い子”とは、その子自身の個性を発揮して、イキイキしている状態を指して言いたいところ。
体育館で会ったあの子は、たぶん「元気いっぱい、活発な子」で、「ママから離れて1人で行動できる子」なのでしょう。体育館に着いて、楽しみな気持ちがいっぱいで、館内のどこへ行けば良いか自分で判断できて、どんどん進んでいける勇気が持てているあの瞬間、あの子は紛れもなく“良い子”だったはず。そんなところでサンタさんと共謀して水を差すのは、ちょっと残念ですよね。
本当に危険があると思うなら、「あー、リョウタが先に行っちゃうと、ママ心配~」と言えばいいですし、大きな危険があるわけではないなら、そのまま行かせてあげる勇気を親の方が持って、見守ってあげたいところです。
それから、もう1つの疑問。プレゼントをもらえる条件って、そういうものなの?──です。「良い子にしていれば」という条件には、どうしても子ども本人の外にある基準を感じさせます。その“良い子基準”を満たせば、プレゼントがもらえる。満たさなければ、もらえない(しかも、満たしているかどうかは、ママが監視している)。この構図に、私は強い違和感を感じます。
私は「良い子にしていれば」とは言いません。代わりに、こう伝えています。
「プレゼントが来ると信じていれば、きっと届けてもらえるよ」
「プレゼントをもらうのにふさわしいのはどんな子かを考えて行動することだけ、意識していようね(どんな子が“ふさわしい”のかは一切言わず、子どもが自分で考えています)」
サンタさんは、子どもたちに夢と希望とプレゼントを届けてくれる人。決して「子どもに手を焼く親たちの、便利な手下」ではありません(笑)。そのことを忘れずにこの季節を過ごしていただけたら、私もうれしいです!
image by: Shutterstock.com