時代遅れで欠陥のある教育制度。長寿時代に則した大学教育とは?

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小学校から大学まで、六三三四の教育制度が始まったのは1947年のこと。以来70余年、大枠は変わっていません。メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんは、戦後すぐの極めて貧しかったわが国においては、理にかなっていた制度も、豊かになり、たいへんな長寿となった時代にはそぐわなくなっていると主張。「旧制高校」のような一般教養のみを4年間学ぶのを大学、それ以上の専門性は大学院で学ぶのが、生涯学習システムとしても相応しいと提唱します。

教育について

教育について考えるということは、取りも直さず、子供たちについて考えるということである。故に今の日本においては最重要課題の一つと言っていい。

さて戦後、教育制度が変わり、現行のものとなってから随分と経つが、ここで改めてその制度を評価してみたい。まず、日本の学校制度は欧米諸国のそれと違って線条的で分かり易い。即ち「六・三・三・四」で、誰もが分かる。外国のように通し番号によるグレードなど使わなくていい訳である。

一方、制度としての学校には致命的欠陥がある(少なくとも今日的な意味においては)。それは、旧制高校の廃止、さらにそれを継承する教養部や教養学部の解体・廃止に起因するものである。

そもそも、六三三四制による教育とは、社会に益する人材を出来るだけ早く創り出すシステムである。甚だ大雑把に言うと「中卒=ブルーカラー」「高卒=上級ブルーカラーまたは下級ホワイトカラー」「大卒=上級ホワイトカラー」のような感じである。戦後間もなく日本が極めて貧しかった時代においては、これはなかなかに良い制度であった。少なくとも効率的にはそうであった。学業成績優等にして生活に余裕のある者が高校に進学し、さらに優等、富裕の者が大学へと進学した。高度成長期にはこれで良かった。

しかしながら、現代ではそうはいかない。高校進学も大学進学も当たり前のこととなった。誰もが普通に大学まで行く世の中にあって、社会からの要請のみに応じた効率偏重は現実にそぐわないものとなり、高等教育は自己実現といった、より個人的な要求に応えなければならなくなった。剰え、寿命の伸長により、人の一生は制度設計の段階に比べはるかに長くなった。長くなった人生の分だけ必要な教育も変わって来て然るべきであり、それに合わせて学校制度も変わって行かなければならない訳である。

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