とにかく、地方がダイレクトにグローバルな社会に直結する、そうして高齢単身世帯ばかりで沈んでいく東京を横目に、改めて経済のクオリティを上げていく牽引車になるべきなのです。
その意味で、今回の大学入試をめぐる騒動で、地方イコール守旧派という立ち回りに至ったのは全くの誤りと思います。東京がやってきたマークシート入試は、それこそ硬直化したベルトコンベヤー生産の非人間的なカルチャーの産物でした。
そうでなくて、地方こそが、使える英語、自由な発想法で若い人を育てて、ダイレクトに世界とつながって行くべきなのです。この点に関しては、私の落胆は深く重いものがあります。
その意味で「地方創生」という言葉はもう賞味期限が過ぎたのではないでしょうか。この言葉の意味は「頑張ろう日本」などと同じで、「地方が大変だということを分かっている」という記号に過ぎません。地方を変えて、その中にある可能性を引き出し、それをグローバルな世界に結びつけて行く作業は、もっと別の言葉によって主導されるべきと思います。
image by: Shutterstock.com