なぜテレビ番組を「卒業」?一般人が疑問に感じる芸能界の常識

 

だが長期の休養期間を経ての卒業という場合はさすがに無理があるように思う。これを学校に例えるなら休学からの退学である。およそ卒業とは言えない。然るにこれを「卒業」と言うのは、どう考えても「脱退」の美辞的婉曲表現としか思えない。当人の無念さや悔しさを無視した、どこか冷淡な物言いのような気がしてならないのである。少なくとも「おめでとう」と言える状況などでは決してない。

同様に、テレビ番組などからの「降板」の美辞的婉曲表現としても「卒業」という言葉が使われる。より正確に定義すれば、出演者本人の不祥事によらない降板を卒業と言うようである。結局は、面白くなくなったとか人気がなくなったなどの理由でそのタレントが要らなくなっただけのことである。にもかかわらず「○○さん、今日で卒業でーす!」とMCが声高に言いながら花束を手渡すおなじみのくだりにはさすがに偽善的なものを感じざるを得ない。また、それが分かっているからこそ「おめでとう」ではなく「お疲れさま」なのであろう。

例外的に堂々と卒業と言っていいのは当該タレントに、より大きな仕事が入ってスケジュール的に両立が不可能となった時くらいであろう。そんな例が一体どれほどあるのだろうか。

そもそも日本人が日本語において、敢えて美辞的婉曲表現を使うのは心情的にどこかやましいところがあることの顕れとも言える。「おめでとう!」と感嘆符を付けて言えないようなら、やはり「卒業」とは言うべきではないのである。

それにしてもこういった美辞的婉曲表現が飛び交っているのが芸能界というのがちょっと面白い。やはり建前と本音、虚と実が入り混じる恐ろしい世界ということなのだろうか。おそらくそれほど大層なことでもなかろう。建前は建前のままに、虚は虚のままに、といったようなお約束(虚飾)の世界ということなのであろう。故にこの世界でのし上がって行くにはおよそ人間の持ちものとは思えぬような何かが必要なのかもしれない。

image by: MMpai / shutterstock

山崎勝義この著者の記事一覧

ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

有料メルマガ好評配信中

  初月無料で読んでみる  

この記事が気に入ったら登録!しよう 『 8人ばなし 』

【著者】 山崎勝義 【月額】 ¥220/月(税込) 初月無料! 【発行周期】 毎週 火曜日 発行予定

print
いま読まれてます

  • なぜテレビ番組を「卒業」?一般人が疑問に感じる芸能界の常識
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け