「9月入学」導入は愚の骨頂。文科省の検討が混乱しか生まない訳

 

「9月入学」に飛びつく無策と教育格差

そして、ここきて飛び出てきたのが、「9月入学」だ。

このまま、コロナが収束の目途すら立たなければ、機能的に三密が避けられない学校教育を再開することは困難であろう。

ノーベル賞で有名な山中教授によれば、コロナ収束は1年以上かかるといわれているし、欧米諸国でも専門家は収束までに2年はかかるだろうという話もある。

現状、いくら感染者数が減ったとしても、仮に1人が感染しており、クラスに入れば30人のうち複数人が感染し、さらに帰宅して家族間で感染者が増え、家族が会社に行くなどして、結果感染拡大が再発することも考えられるだろう。

であれば、受験期の学生も当然いることから、いっそのこと、入学時期を9月にして、制度をかえてしまおうというわけだ。

こうした議論に対して、政府は何の興味もなかったのだろう。検討すらしていなかったからこそ、現役高校生が提案したことが発端となったこの「9月入学」になんか良さそうだと乗っかってしまうのである。

例えば、現在は4月入学となっている。学年は4月2日生まれからとなっており、現行の学年を一体どうするのかという議論がなされていない。

つまり、9月入学となれば、9月生まれからの学年となることが想定されよう。ともすれば、今の学年はどうするのだ。

その他にも、教科書問題や学習計画の作り直し、奨学金と連動するような確定申告期との問題や国家試験や就職期の変更など、単に苦し紛れの策を講じれば、そのほかのシステムを変更しなければならなくなる。

いじめ問題であっても、命にかかわる緊急な事態が生じても対策が遅れている教育行政に迅速な対応を求めても無理だろう。現場は混乱し、教職員はさらに疲弊、それに伴って児童生徒は学習を進めるどころではない。

一方で休校をしていない地域とオンライン授業が進んでいる学校は教育が続いているが、全く対策が後手になっている地域では教育の進みに大きな格差が生じる。

オンライン授業の対応ができている私立校は、すでに受験の準備に取り掛かっていることだろう。

もはや格差は生じているのだ。

生徒を無視し続けてきた教育行政

但し、その格差が生じても、「9月入学」を進め根本的システムを変更すれば、取り返しのつかない混乱を生じさせることになるだろう。その決断は英断ではなく、愚の骨頂であり、今の学生を含め、一般市民を切り捨てたことを意味しよう。

ただ、私はきっとこの決断はあり得るかも知れないと思っている。なぜなら、政府も教育行政も、児童や生徒を今まで無視してきたからだ。

いじめ問題を主に扱ってわかったことがある 。仕組みや法は穴だらけ、その後の改正もしていない。そして、法やガイドラインに違反してもほとんどは謝罪で済む。まるで、治外法権のように行為自体は犯罪だというものが起きても、有耶無耶にされてしまうのだ。

政治家は身内にも甘い。

例えば、女性団体の活動視察に出た 馳元文科大臣は、この女性団体にいる十代の女性にセクハラ行為を働いたとして団体代表から抗議を受けている。

ところが、馳参議はブログで釈明をしたに過ぎず、直接の謝罪はしていないし、軽い注意で処分ということまでにはなっていない。

さらに、馳参議はもうこの問題には対応しないと表明している。

私の周囲では、馳参議のセクハラ行為については、彼方此方からその評判の悪さが耳に入ってくる。この団体の問題を耳にしたときも、やはりやっているんだなというように思ったくらいだ。

結局、有耶無耶にしてマスコミをもコントロールしてしまえば、世間の注目も一時凌ぎで逃げ切れると考えているのだ。

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