【書評】作家・泉鏡花の机の横に観音像が置かれていた笑えぬ理由

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『婦系図』や『高野聖』等の作品で知られる日本幻想文学の先駆け・泉鏡花。そんな人気作家がさまざまな強迫観念にとらわれていたことをご存知でしょうか。今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』では編集長の柴田忠男さんが、そんな鏡花の驚きのエピソードを紹介した一冊をレビューしています。

偏屈BOOK案内:嵐山光三郎『文人悪食』

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嵐山光三郎 著/新潮社

「泉鏡花は食べることが恐ろしく、食べ物への強迫観念から逃れられない性格だった」と冒頭にある。難儀なお方である。食物嫌悪症を示す逸話に、豆腐の腐の字を嫌い豆府と書いた。それでも豆腐(確かにいやな字面だ)を好んだのは、ひとえに貧乏性だったからだ。豆府をぐらぐら煮て食べた。煮沸滅菌か。

肴の刺身は食べられない。柳かれいと塩鮭の焼いたもの、鯛のうしお汁くらいしか食べない。肉は鶏以外は食べない。ほうじ茶をぐらぐら煮て塩を入れて飲んだ。毎晩二合ほど超熱燗の酒を飲んだ。大根おろしは煮て食べた。どんなものでも沸騰点以上まで煮なければ口にしない。真夏もぐらぐら鳥鍋に煮え燗。バイ菌恐怖症で旅行に行けず、外出時は煮立てた酒を魔法瓶に入れて携行した。

鏡花の食事に対する病的行状は、その頃の精神科医によると「食物異常嫌悪」という脅迫概念で、当時流行した赤痢、コレラの疾病恐怖が深く関連している。見た目が悪いものはことごとく嫌い、「シャコ、タコ、エビなどというのはいったい虫ですか、魚ですか」と悪態をつき、「チョコレートは蛇の味がするから嫌だ」とまで。「蠅を憎む記」では、蠅がバイ菌を運ぶのをひどく恐れた。

19歳で尾崎紅葉に入門を許される。「門下生にならなければ、学歴も教養もなく、自立しえない鏡花は発狂したか、自殺したか、どちらかであろう。鏡花の作品は、狂気と日常のぎりぎりの接点で、蒼い炎をあげるのである」「私生活の異常潔癖症が、反転して文芸に結実する。鏡花の作品は化け物が多く登場し、怪異と耽美性にみちている」。なぜ鏡花は化け物や幽霊の話を書くのか。

じつは化け物を恐れるためである。鏡花は幽霊の実在を信じて疑わなかった。「観音力を信じ、机の横には観音像が置かれていた。観音が化け物や悪霊を封じるためである。また、文字には文字霊があると信じ、原稿で訂正した文字は、墨で黒々とつぶした。消した文字霊を抹殺するためであった」

紅葉門下に入った当時の鏡花は、紅葉の口述筆記を担当するが、文字が分からず立ち往生した。「鏡花の漢字にルビをふる独得の文体は、川端康成の『文章読本』によって華麗な美文とほめられ、『文章の彫琢』として鏡花ファンを魅了するが、あの『舞文の妙』は『文字を知らなかった』ことの反動として生まれた」。鏡花の総ルビ文体は、声を出して読むとじつに効果的であるという。

例としてあげられた「蛇くひ」という作品、いやはやものすごい内容で、声に出して読んで後悔した。食事恐怖症のはずの鏡花がよくも描いたものだ。「鏡花は、自らの作品を食い、唯一それのみが鏡花の嗜好であった」と嵐山は書く。自殺願望の鏡花は、小説の主人公を殺すことで自分の自殺を予防してきた。

「妖怪を描くが妖怪を恐れ、紅葉を熱愛するがそれ以上に憎み、女が好きだがすず夫人に抑えられ、時流からはずれるのを恐れるが偏屈で、自殺願望があるが死を恐れる。この矛盾したジレンマは、矛盾の幅が極端であるだけ自我分裂をおこす」。代表作「婦系図」は師紅葉への怨みを、作品として昇華させたものである。告白するが泉鏡花の作品集、持っているが読んでいない。

編集長 柴田忠男

image by: Logan Bush / Shutterstock.com

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