それが、防衛省は実地測量をせず、なんとデジタル地球儀Google Earthで大雑把なデータを出したものですから、周囲の山の高さなどに大きな誤差が生じてしまいました。
そればかりではありません。その一件が地元紙・秋田魁新報に報道されたあと、防衛省が開いた住民説明会で、あろう事か防衛省側の職員が居眠りしており、それをテレビで全国に報道されたものですから、火に油を注ぐような事態となりました。その結果が、新屋演習場を断念するという今回の動きになったのです。
しかし、防衛省が断念しなければならないケースはほかにもあります。沖縄・普天間飛行場の代替施設として防衛省が建設を強行している辺野古の問題です。
3月に出版した拙著『フテンマ戦記基地返還が迷走した本当の理由』(文藝春秋)で具体的に言及したとおり、辺野古案は、有事はもとより平時の国連平和維持活動(PKO)や国際災害派遣にも使えない大きさしかありません。戦闘機や輸送機を発着させられる滑走路より1000メートルほど短いからです。
有事には、海兵隊の航空機を300機ほどと数万人規模の地上部隊を受け入れる必要がありますが、普天間の43%のキャパシティしかない辺野古ではとても無理です。
こんなことになったのは、防衛省が第1海兵航空団の保有機数が456機だということを知らず、辺野古には50機ほどの回転翼機を収容できればよいと、勝手に思い込んでいたからです。もちろん有事のことなど頭になく、海兵隊の巨大な地上部隊の規模についても無知でした。
簡単にわかることを調べなかった挙げ句の果てが、辺野古の惨憺たる有り様です。ここまで読んでおわかりのように、イージス・アショアの問題は辺野古とまったく通底していると言わざるを得ません。
そのような防衛省を専門家の集団だと思い込み、全てを丸投げしてきた政治の責任、そして、そのような政治家を選んできた私たち日本国民…。これはコロナ対策をはじめ、全ての問題に通じる光景です。絶望的になりますね。でも、そのくらいで絶望していたらコロナに打ち克つことはできません。
国民それぞれが、日本を変えていくための構想を思い描いてみることも、コロナ対策で生まれた生活様式を前向きに考える一案かなと思います。(小川和久)
image by: Missile Defense Agency – United States Department of Defense / Public domain