【自由の国・フランス】人権尊重主義がテロを引き起こす皮肉

小川和久© ia_64 - Fotolia.com
 

なぜテロリストは見逃されたのか

『NEWSを疑え!』第362号(2015年1月15日号)

フランスのシャルリー・エブド紙に対するテロについて、「当局は容疑者のクアシ兄弟をいったん監視対象者に選んでいながら、テロを防げなかったのはなぜか」という疑問や批判の声が上がっている。

しかし、フランスが「潜在的テロリスト」の監視を抜本的に強化することは、人権を尊重する法治国家であるかぎり、多くを期待できないことは知られてよいことだろう。監視対象者の人数があまりにも多く、自由の身である潜在的テロリストを含む対象者を見失うことは避けられないからだ。

この問題は、フランス人の監視対象者による欧州でのテロが、2012年と14年にもあったことで証明される格好になった。

例えば2012年3月、モハメド・メラが出身地のフランス南西部トゥールーズと近郊のモントーバンで、兵士3人とユダヤ教徒学校の教師・児童4人を射殺した後、警察との銃撃戦で死亡したケースなど典型的だ。

メラについては、フランス国内情報中央局(DCRI)が2009年からスンニ・イスラム過激派(サラフィー・ジハード主義者)との関係を監視していた事実が、テロの5カ月後に公開されることになった。

メラがアフガニスタンとパキスタンへ渡航し、帰国するたびに、DCRIはメラの危険度を「過激化しつつある前科者」(2011年1月)、「特別な監視対象者」(9月)、「直接の脅威」(11月)と格上げしたものの、それでもフランス当局はメラの海外渡航を止めることもしなかった。

2014年5月、フランス人メフディ・ネムーシュがブリュッセルのベルギー・ユダヤ人博物館を銃撃し、職員・参観者4人を射殺した事件は、さらに先進国政府の懸念を裏づけるものとなった。イスラム教徒の多い先進各国は、自国民がシリア内戦に参戦し、帰国後にテロを行なう可能性を懸念してきたが、ネムーシュの事件は初めてのケースとなった。

ネムーシュが強盗罪で服役中にサラフィー・ジハード主義者となったことは、刑務所当局がDCRIに知らせていたが、ネムーシュは2012年末、出所直後にシリアへ向かった。

ネムーシュは2014年3月、ドイツのフランクフルト空港を経由して帰国した。ドイツの税関当局は、ネムーシュがトルコから東南アジアを経由してきたことが不審だと、フランス当局に知らせた。

しかし、フランス当局はネムーシュを監視しなかった。ネムーシュがマルセイユで逮捕されたのは、ブリュッセルから乗ってきた列車が麻薬取締のため捜索された時、テロに使った銃を持っていたからである。

フランス当局がメラとネムーシュを見失った原因は明らかだ。テロ容疑者の起訴の当否を判断する役目の、マルク・トレヴィディク予審判事によると、フランス人サラフィー・ジハード主義者の人数も、経歴の多様性も、インターネット上の宣伝のせいで激増したが、監視要員の数も、逮捕と起訴に必要な証拠の基準も、この変化に追いついていないという(2014年9月3日付ロピニオン紙)。

過激派がさらに多い、中東の一部の国の対策は、モスクを常に盗聴して、テロを称賛する若者を逮捕し、説教と職業訓練と就職あっせんを行なっても改心しない者は釈放しない、というものだ。しかし、「自由の国・フランス」が同じような方法を取り入れることができないことは明らかだ。

なお、文中に登場するDCRIは2014年1月、国内治安総局(DGSI)に再編されている。

 

『NEWSを疑え!』第362号(2015年1月15日号)

著者/小川和久(軍事アナリスト)
地方新聞記者、週刊誌記者などを経て、日本初の軍事アナリストとして独立。外交・安全保障・危機管理(防災、テロ対策、重要インフラ防護など)の分野で政府の政策立案に関わり、国家安全保障に関する官邸機能強化会議議員、日本紛争予防センター理事、総務省消防庁消防審議会委員、内閣官房危機管理研究会主査などを歴任。
≪無料サンプルはこちら≫

print
いま読まれてます

  • 【自由の国・フランス】人権尊重主義がテロを引き起こす皮肉
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け