さて、国民年金は「国民の私たちにも年金を!」という世論がとても高まり、当時自民党と社会党が昭和33年の総選挙で最大の選挙公約として掲げられたものだった。投票率は79.9%で、ほぼ80%というものだった(戦後最高の投票率)。非常に関心を持たれたのです。
自民党が選挙に勝ち、国民年金創設へに向かって大急ぎで作られ、昭和34年4月(保険料徴収する正式なものは昭和36年4月から)に国民年金法ができた。できたらできたで、安保闘争と重なって勝手に反対エネルギーのターゲットにされてどえらい反対運動が起こってしまった。とにかく、反対反対とか言う人達は意味も分からず反対反対言う事が多いから迷惑ですよね。
で、話を戻しますが、国民年金手帳は昭和36年4月からは保険料を納めて、手帳に印紙を貼るという形でした。印紙貼るのは5年分しかなかったから、5年毎に新しい手帳が発行された。色は水色とか灰色とか、黄色っぽいものなど統一はされていなかった。昭和49年10月になると国民年金も厚生年金も共通のオレンジ色の手帳で統一して管理するようになり、この手帳で国民年金や厚生年金の番号が記載された。
よく、ネットニュースなんかの画像に水色とオレンジの年金手帳を持ってるおじいちゃんおばあちゃんの画像が使われてますよね。あれは従来と現在の手帳。今使うのは水色だけ。本当は年金貰ってるおじいちゃんやおばあちゃんが手にするのは年金手帳ではく、「年金証書」なんですけどね…(笑)。この従来のオレンジの手帳が交付された以降は、違う制度に変わっても新たに手帳が交付される必要は無くなった。
ただし、厚生年金の番号や国民年金の番号は、それぞれの制度毎に別々に管理だった。職業が変わり、加入する制度が変われば新たに番号が付されて、加入する制度が同じであるならば番号は同じでいいんですが、実際はまた新しい番号を与えられてしまっていた。だから、現代のように一人が一生で基礎年金番号一つというわけではなく、一人で複数の番号を持つという人も少なくなかった。昭和61年4月に基礎年金制度ができて、平成9年1月に基礎年金番号を導入する時に、そういう過去の複数の番号が統合されていった。
でも、平成18年6月時点で氏名や性別、生年月日等によって本人が特定できず、5,095万件もの誰のものかわかんない記録が該当者不明のまま残っていたことが判明しました。5,000万件のうち、3,000万件は解明されましたがまだ2,000万件は残ったまま。年金記録漏れは、番号を2つ以上持っていたケース、結婚前の旧姓のままのケース、氏名の読み方や生年月日が違っていたという事で9割以上を占めています。
番号に関しては、青色ではない年金手帳が出てきたら、もしかしたら現在の基礎年金番号に統合されていないかもしれないので年金事務所に統合されているか確認しましょう。統合されてないと、場合によっては本来の年金額よりも低い年金を受給してる可能性がある。特にひと昔前のおじいちゃんおばちゃんのアイテムには気を付ける必要がある。
まあ、昔の人はなかなかモノを捨てようとしないので、いろいろ家の中を整理していたら大事なものがいっぱい出てくるかもしれないですね^^;時には整頓ではなく整理をして断捨離をしましょう。モノが溢れてると何が本当に大切なのか、何がどこにあるのかわけわからなくなるからですね。
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